天保八年(一八三七)旭荘は、三十一歳
一月十一日
河茂は、彫工の井上某(曽て相謁せし者なり)を牽き、来たり見えて曰く、
「今日の午後、酒を献ぜん。請ふ臨まれんことを」
と。
朝来、雨大いに降り、午後も未だ止まず。大助と畳屋丁に出づ。元司は従ひ、
敬純は去る。
奥田儀一郎を訪ふ。此れ遠思楼を写す筆工なり。(中略)酒店に至れば、宴を設く。井上
某も亦た来たり陪す。
筆工とは、版本の版下の字を清書する者であり、彫工(彫り師)とは、その字を板に彫る者である。
淡窓の詩集『遠思楼詩鈔』の筆工と彫り師の姓名は、版本のどこにも明記されていなく、
『大阪出版書籍目録』のその条にも記されておらず、今まで分らなかった。『備忘」のこの部分に
心を止めて、顕彰する者はいなかった。それを、ここに始めて明らかにできたのは、欣快に堪えない。