辻井義輝の「三島中洲、藤森天山、小永井岳、巌谷一六、川田甕江らと千葉県旧市原郡の文人たちとの交流 ( 五 )―『 南総応酬詩録 』『 陪游録 』を中心にしてー」は、明治十九年、旧市原郡今富村千葉禎太郎により、三島中洲が同郡に招かれ、同郡の文士達との間で文化的交流が行われた。本稿は、この際の交流の跡を記す『南総応酬詩録』全の解明を基に、さらに、それに多くの新発見資料を補いあわせることで、明治期に、千葉県旧市原郡に確かに存在した文雅の形跡を窺わんとした第五稿である。この度は旧新生村佐久間家の当地域における文化的意味を確認した。それに伴い、田原藩家老鷹見星皐の弟・石川龍山の足跡、三島中洲が当家について記した散文「養老山房記」の紹介等を行った。

 

 徳田武の「『吾輩は猫である』と根本通明」は、同作の三や九に言及され、また登場する迷亭君の伯父たる牧山翁が実は当時の著名な漢学者である根本通明をモデルにした人物である事を指摘する。その証拠は、牧山翁が明治も後半になるのに丁髷・鉄扇の姿である所が根本通明と一致するからである。この牧山翁は、九に於いては孟子や卲康節及び中峯和尚が唱える心の修養を説き、つむじ曲りで頑固な苦沙弥先生も、これに賛成する趣が見えて、なかなかに重要な役割を負わせられているのであるが、そこに漱石の通明に寄せる敬愛の情が反映されているのではないか。但し、実際の通明は奇矯なほどの易学者なのであるが、そうした点は、該作では取られていない、等々を述べる。

 

 山瀬一美の「『八犬伝』の夏目漱石『こころ』への影響」は、夏目漱石が『南総里見八犬伝』の趣向を取り入れて小説『こころ』を執筆したことを、「稗史七法則」中の「反対」の例をもって紹介した。また、『こころ』の全体構想に、馬琴が『八犬伝』によって顕彰した里見「八賢士」殉死の事績が組み込まれているであろうことを示唆した。

 

 大木拓海の「服部担風箋注『香蘇山館絶句』翻刻(中)」は、(上)の続編として、服部担風(一八六七~一九六四)の旧蔵書、呉蘭雪著・服部担風校『香蘇山館絶句』(清心吟社刊、小林活版所、昭和八年四月)の詩の本文、及び、ほとんど全葉に遺される担風自筆の文言による箋注を翻刻するものである。この集は、清人呉蘭雪の詩集、『香蘇山館詩鈔』三十六巻(道光二十三年初刊、咸豊三年重刊)の今体詩巻より七絶三百七首を抄出するが、担風が漢籍の講義をした清心吟社第百五十集を記念する講演会にて頒呈されたものであった。なお、本稿は第百二首から二百四首までを翻刻する。

 

 神田正行の「『新編金瓶梅』第二集 影印と翻刻」の概要は、次の通りである。
上帙では、藻塚鮒斎の娘刈藻(かるも)が、西門屋啓十郎の愛妾となるまでの騒動が描かれ、下帙では阿蓮(おれん)が啓十郎と姦通し、この関係を察知した夫武太郎(ぶたろう)を殺害する。いずれの物語も原作『金瓶梅』を意識したものであるが、馬琴はそこに独自の因縁を設定して、作品の構成を緊密にしている。
 

 近時、東京では移住して来た外国人を大そう多く見かける。ウクライナから避難して来たのか、と思われるような御婦人の姿なども散見する。これは、地方でも同様な現象であろう。それに伴って、ネットでは様々な声も生じているが、これは共棲に慣れていない島国日本の民の反応であろう。今後、こうした現象がどうなって行くのか、見守りたい。

                              徳田 武

令和六年五月二十五日