二十九 士を愛す 水野正重

 

 永禄十二年(一五六九、二十八歳)正月、今川氏真が籠っていた遠州掛川の城を攻めなされた時、城将日根野備中の甥、同弥吉が手ごわく戦ったが、また御旗下の水野太郎作正重が渡り合って、弥吉の首を取って立ち上ろうとした所に、敵がまた弓をもって正重の腰を射たので、深手ではあったが、引き取った。これを家康が聞こしめし、丸山清林という外科医を召して 、

 

「正重の傷は大切であるから、何とかして平癒するように治療せよ」

 

と、おっしゃった。清林も恐れ多いことに思い、殊更に心を用いて治療したので、日頃へて恙なく平癒した。

 

 また後年、甲斐の若御子(わかみこ。現、山梨県北杜市須玉町若神子字古城)にて北條と御対陣の折、久世三四郎広宣が、北條の内、野中六右衛門という者を討ち取った時、面に傷を蒙ったので、お手ずから薬を付けさせ、是も清林に療治を言い付けなされ、

 

「三四郎の鼻が落ちぬようにせよ」

 

と命ぜられたという。これらはみな士を愛し給う御心の一端が伺い知れる例である 。  

 

(『続武家閑談』『柏崎物語 』)