この巽太郎というのは、森田節斎の門人であって、遜斎と号した。節斎の「遜斎遺稿序」に拠れば、

 

七月十六日、大文字焼きの日に生まれ、名は世大、字は耀文と言った。

 

 学才は頼三樹三郎と拮抗したというが、文久三年四月に病死した(四十二歳)。

 

 二十年前の十二月、節斎が愛蔵していた『欧陽脩全集』を質入れして、一老婆の窮を救おうとしたが、太郎が書簡で節斎を諫めて、これを止めさせた、と言う。

 

 節斎の河野鉄兜宛て書簡によれば、『遜斎遺稿』は、節斎の尽力で刊行された、と言って良い。

 

  参考 武岡豊太稿述『森田節斎先生の生涯』(大正十五年四月十日発行)