槍を稽古していると

中には有名な流派の名前を出して

「A流、B流、C流、D流などで

槍の正しい技術を学ばないと槍の稽古をするべきではない。」

 

有名な槍の流派は、古くから正しい事が伝えられている。

だから“それをやるべきだ”、と。

 

このような人に対し、次のような質問をします。

しかし次の質問に答えられた人はいません。

 

「石器時代にも狩猟などで槍を用いていたようだけど、

その頃の槍の名人は、何流の何免許を受けていたんだ?」

または、

「戦場にて槍同士で相対した際、お相手の槍の技を見て

“それは当流としては間違いだと思うから使わないでくれ”

と哀願するのか?」

 

有名な流派に気を取られ、それを意気揚々と語る様を

夕雲流剣術書では

「群盲 象を評する。」

と説明をしております。

  

 

有名流派の槍に間違いはないでしょう。

しかし、

“有名ではない槍”を否定する根拠にはなりません。

 

己の価値観が、象の全てを表しているわけでは

ありません。