海老名市には江戸時代に、瑞寿館(ずいじゅかん)と言う医学研究塾がありました。
古武道道場のようなイメージがありますが、
御典医である半井驢庵(ナカノイ ロアン)の医学研究のための私塾です。
現在の住所で言うと、
神奈川県海老名市本郷3881
になります。
参考(タウンニュウース)
https://www.townnews.co.jp/0402/2015/01/30/269752.html
検索は「半井驢庵の旧跡(有馬のハルニレ)」
で出てきます。
この半井驢庵は、一雲の”医師の師匠”です。
つまり、若いころに一雲は海老名市で医師・医学研究者の
勉強に励んでいました。
一雲は、無住心剣の2代目と言う剣術家でも有名ですが、
本来は医師・医学研究者でした。
医師名は長谷川 恕庵(ジョアン)。
後に海老名市(相模)から江戸に上り、針ヶ谷夕雲に
剣術を学び真面目と言う名の印可を得ました。
この瑞寿館で学んだ一雲は学頭にまで上り詰めた記録があり、
医学、剣術をある部分極めてたことから
好きな事には非常に没頭する人物ではないかと考えられます。
医学研究者だから、と言うわけではありませんが
一雲は物事を広い目で見ることが出来た事、
また、今で言う高学歴で知識も豊富であったことなどが幸して、
夕雲流剣術書や天真独露と言った
心の剣を説いた文書を残すことが出来たと思われます。
ご興味のある方は、無住心剣(夕雲流)になる前の一雲先生を
訪ねてみると良いかもしれません。
参考資料:日本古典作者事典
夕雲流剣術書(現代語訳)
海老名市史(海老名中央図書館、海老名市めぐみ町7番1号)
小田切一雲/小手切一雲
1630-1706年 江戸時代前期の剣術家、医師、医学研究者。
寛永7年生まれ。会津の人。相模にて幕医半井瑞成(驢庵)に師事する。
後に長谷川恕庵と称し塾頭をつとめる。剣術は28歳から八丁堀の針ヶ谷夕雲に
無住心剣術を師事する。,寛文2年(1662)・33歳の時に印可をうける。
39歳で深川に隠棲し60歳で出家し空鈍と号した。宝永3年4月26日死去。77歳。
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無住心剣(夕雲流)は、いわゆる古武道、古武術や古流剣術と言われる
身体の運用法、重心移動などの術、技や型などの稽古は一切にありません。
ただ”心の理”を追求し、その理によって無敵の境地にたどり着きます。
海老名市の隣市で無住心剣の稽古・研究が出来たのは
何かの因果なのかもしれません。
無想剣武術会 藤沢市支部は
藤沢市で無住心剣の稽古・研究をしております。