杓子定規。

このお話の説明は割愛をします。

 

所作・・・とは武道で言えば

「型」とか稽古方法になるでしょうか?

今回は、所作に関するお話をしたいと思います。

  

   

ある日本人が教会で

イエス・キリストのありがたい話を聞きました。

その話により、その日本人は悩みが薄れ

晴れた気持ちになりました。

 

教会を出る際に日本人は、

神父様とキリスト像に対して

手を合わせて拝みました。

 

それを見た、敬虔なクリスチャンは

「手を合わせるのは、不敬だ!

 キリストを侮辱している!」

 

牧師さんは、敬虔なクリスチャンに対し

「日本人は日常生活に宗教が自然と身に付いた

文化を持っています。

手を合わせるというのは、仏教の形ではなく

感謝の心を形に現したものです。

つまり日本人が手を合わせてきたと言う事は、

最大の感謝をイエスに向けたと

事になります。

イエスも形や外見へのこだわりでは無く

内面を磨くように教えを説いております。

あなたも神の子の一人であるならば、

日本人の内面が見えたはずです。」

 

 

この話のように、形よりも内面(心)を大切にする

流儀が 無住心剣(夕雲流)や心形刀流です。

宗教もまた、本来は無形であり

所作を追求することではありません。

 

型と言うのは、1つの見本であり

一言一句その見本通りに真似をすることではありません。

  

お役所の書類の見本に

「氏名:神奈川太郎」

  

まさか、自分の書類に神奈川太郎と書く人は

いないと思います。

剣の所作も同じです。

皆が皆 神奈川太郎ではないのです。

 

それよりも、心の在り方が重要です。

ちなみに宗教とは

「宗(ムネ)を教える、教わる」

と言う意味です。

  

宗とは?

端折って書くと「心」の事です。