お供え物とかお賽銭の愛のお話です。

  

現代日本では社会保障なるものがあり、

申請が通れば生きていけます。(生活保護など)

   

しかし社会保障が不十分な時代。

明日の・・・いや

今日の飯にもありつけない者が

最後に頼るべきものが

「お賽銭」とか「お供え物」

です。

   

神仏は物質的なものは必要としません。

神仏は、人命よりも大切なものは無いことを

知っています。

  

だから、

生きるか死ぬかにある者に対しては

お賽銭やお供え物を持っていくことを

容認するのです。

いや、お供えとは最初から弱者救済のための行いであり、

その仲介を神仏が担っているのです。

  

お賽銭を入れるときは

「本当に困っている者の救済に使って欲しい。」

と言う優しさを込めると、

その優しさが自分自身に帰ってきます。

(情けは人のためにならず)

   

   

 

当然、寺社の維持費に使う事も大切です。

現代のお賽銭の使い方として何ら間違いはありません。

しかし、

「古きお賽銭・お供え物の考え方。」

を意識することも大切です。

 

この優しさを持つ者には、無想の閃きが必ず訪れます。

 

  

 

こんな実話をがあります。

「交通事故で困っている人に役立てば」

 交番に月光仮面を名乗る人から寄付金【新潟・佐渡市】

  

2022年12月31日、佐渡市の交番に月光仮面を名乗る人からの寄付がありました。 

31日午後6時前、佐渡市の両津交番の入口前に、

硬貨の入った封筒が置かれているのを勤務中の警察官が発見しました。 

硬貨は合わせて9280円あり、封筒の中には

「毎日1枚ずつ集めた小銭です。交通事故などで、困っている人に少しでも役立てば幸福です。月光仮面」

と書かれたメモが入っていました。

 

さらに、31日午後10時半すぎには、佐和田交番に月光仮面を名乗る匿名の人が訪れ、

合わせて1万5762円の硬貨が入ったビニール袋を手渡しに来たということです。

 

 警察によりますと、

このような月光仮面と名乗る匿名の人からの寄付は両津交番では1974年から続いていて今年で50回目、

佐和田交番でも37回目になるということです。 

 

佐渡署の安達一仁副署長は

「寄付をいただいた方々には心から感謝申し上げます。ご意向に沿い『新潟県交通遺児基金』

に送金させていただきます。大変ありがとうございました」

とコメントしています。

  

 

この話は、神仏ではなく警察機関に代行を委託した

お供え物(お賽銭)になります。