無想剣は心の剣、と言われています。
では具体的に何を言いたいのでしょうか?
心は
「何か1点だけを以て説明をする。」
事は出来ません。
多面的な見方で、心を見極める事が稽古です。
孫左衛門は1000人の門弟を抱える剣術道場の跡目候補です。
ある時に師匠から刀を渡され、
目の前で震えている幼子を斬れ、
と命じられました。
非情になれる者が跡目を継げる。
その幼子を斬った時に、免許皆伝の印可と道場を譲る約束がなされました。
この時に孫左衛門は師匠に刀を返し、
師匠から
「それでワシの跡目を継げると思うのか!この痴れ者、
ワシの命に逆らうなら、1000人の弟子が貴様の命を狙い続けるぞ!」
そんな脅しにも抗い、幼子に手をかけなかったことで
孫左衛門は道場を追い出されました。
孫左衛門はこの時に人間の持つ本心に気が付きました。
その本心とは
そして、正々堂々と信念を貫くことが強さであること。
孫左衛門が自宅で休んでいると、使いの者が現れ師匠から、
今すぐに道場に顔を出すように託けられました。
孫左衛門が死を覚悟し、道場に入ると師匠から
「今日から、お前が道場主だ。そして印可も授ける。」
孫左衛門が黙っていると
「お前が道場だの師範などとちっぽけな物に目がくらみ、
無明の状態であれば、お前が幼子を斬る前に、
ワシがあの場で叩き斬っておった。」
この愛に素直になること。人が自然のままに感じたこと。
その感じた心を貫き通すこと。
自然のままに感じ、それを受け入れることです。
しかし、人は精神があって人間です。
「幼子に手をかけてはならない。」
その心に従ったから、出来なかったわけです。
その心は“真実の心”でしょう。
これが人本来の持っている、本心です。
剣を通して、心をより成長させる事。
これが無想剣の本質です。
自然の勝ちは、副次的に現れる結果でしかないのです。
相抜ける、
術でも技でも無く「精神である」と言う理由です。
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武好会
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