よく伝統武道の世界では
A流は本物で、B流は亜流(偽物)だ!
このような話を聞いたり、書き込みを目にしたりします。
「じゃあ、本物の定義は?」
「きちんとした伝系があって、私は初代から数えて20代目の本家です。」
「じゃあ、初代本家はA流の免状を誰からもらったの?」
「・・・・・・」
「でも体術は、A流が本物で、伝書の通りの動きが出来ます。
そして誰にでも勝てます。だから本物です。」
「じゃあ、プロレスラーと組打ちになって、プロレスラーが勝ったりしたら、
そのプロレスラーが本物のA流宗家なのかなぁ?」
結局、本物が何か、誰が偽物かなんて
自分を含めて、他人が決めるものではありません。
そもそも、本物と偽物の流派を分けて考える必要なんて
どこにもないわけです。
流派を学校に例えてみましょう。
日本で高学歴と言えば、東京大学があります。
では、東大卒業者以外は、
”学校を卒業していない”
と言っても良いのでしょうか?
大学校も多数存在します。
学部も複数あります。
そして学校とは
高等学校、中学校、小学校、その前には幼稚園もあります。
東大だけが
本物の学校ではありません。
同じ大学で
A流が経済学部で、B流が農学部。
この2つ
“どちらが本物か?”(どちらが正しい)
なんて、誰が決められるのでしょうか?
外の理。
この外の理に目を向け、それが正しいか間違いかを
探しているうちは、自分自身が偽物です。
それはどんなに術や技のレベルが上がろうと、
筋力が上がろうと、身体の柔軟性が増そうが、免状の数が増えようと
本質が変わらないという事です。
外の理から「正解」を見つけるため、
取捨選択をして、(自分にとって)正しい答えを
見つけることは、非常に有益なことです。
正しい流儀とは何か?
の回答ですが
「自分にとって正しい(と思う)流儀が本物。」
です。
よく「守護性」と言う表現があります。
これは、その人物の心に応じた「天」のことであり
守護性(天)と心はイコールとなります。