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昨日は雨で室内のローラートレーニングでしたが、今日は雨も上がって朝からいつものように修善寺まで往復50kmの自転車トレーニングをしてきました。昼休みは登りの練習をしました。

 

自宅がある山まで往復40kmのヒルクライムトレーニングです。やっぱりトレーニングをすると、身体がシャキッとしてとってもいい気分です。お陰様で今日は90kmも仕事をしながら走ることが出来ました。

 

さて、世の中には老後を子供に見てもらう事ばかりを気にして生きている中年以降の年配の人が結構います。自分が動けなくなった時に誰か自分の面倒を見てもらう人が必要だと、今から心配しているのです。

 

そしていい年をした子供に家を建てる資金などの援助をするのです。要するに「老後は俺の面倒を見ろよ!」と子供に資金を出すことによって貸しを作っているのですね。驚くことにこういう人間が結構世の中には多いみたいです。

 

私はこういう年寄りを見ると、「可哀そうに」と思うようにしています。まあ私と同じ年代になると、こういう人間が周りに出てくるのですね。確かに私は私の両親の老後の面倒を家族として見ましたが、それはそれまで両親はちゃんと生活できていたのに、母親ががんになったからです。

 

その頃私はまだ会社のサラリーマン役員をしていましたが、両親を家に呼んで近くのがんセンターに行くようにしたのです。呼んでと言うより、私の家に二人で転がり込んできたと言った方が的確かもしれません。

 

結局母親はがんにより74歳でなくなりました。そしてそのあと父親の世話が待っているわけです。私の父の世代は、「長男が親の面倒を見るのは当たり前」と思っている世代なので、父親には何の問題意識も無く長男である私と私の家族が父親の世話をすることになりました。

 

まあ父親も83歳で亡くなりましたが、そういう経験を通して、私は自分の子供に私の世話などして欲しくないと普通に思います。年老いた親の世話をするのは子供にとって大変な負担になるのが自分の経験を通して分かっているので、そういうことを自分の子供に押し付けようとは思いません。

 

実際子供に負担を掛けたくないと言う年配の人も多いです。私はそれが普通の感覚だと思います。まだ元気なうちから将来自分が老いて衰弱することを念頭に置いて、子供に対し色々な工作をするのは愚の骨頂ですね。

 

そんなアホな事を考えたり実行したりしている暇と金があるのなら、今から死ぬ前の日まで自分がちゃんと歩いて、自分で自分の世話が出来るように自分を鍛えるべきです。

 

先日私の長男が自転車で、私が時々トレーニングで使っている熱海峠までの旧道を上ったらしいです。しかし上りだしてから2kmくらいで心が折れて帰ってきたと言っていました。

 

息子はまだ39歳ですが、私が普通にトレーニングで上っている10km以上ある熱海峠までの激坂を若い息子は2kmくらいしか登れないのです。もちろん息子がトレーニング不足なのですが、私自身、私が30代の時にこの激坂は自転車では登れなかったと思います。

 

私は自分が息子より体力が上で頭が正常であれば、息子の世話になることは無いので、死ぬ前の日までトレーニングと仕事を続けます。これが結果的には相手に世話をかけない、相手を慈しむ愛情につながるのですね。

 

考えているとか口でで言うだけではなくて、毎日の実践を通して体を鍛えるのが引いては子供のためになります。鍛えるだけではなく、食事をはじめ健康管理も大切です。

 

将来自分の世話をして貰う為に子供に住宅資金などを出しているのは、愛情でも何でもなくて親の自我であり執着です。そして「家族だから…」という甘えから出て来る心の悪です。「育ててやったから、俺が歳をとったら面倒を見て借りを返せ」という表面には見えない、また本人すら認識していない潜在的な親の意識は本当の悪ですね。これは取引であり、親の愛情でも何でもありません。

 

歳をとってから、そういう親の犠牲になる子供とその家族は可哀想です。本物の愛情は相手を慈しむ気持ちですね。まあ私の場合は歳をとってからの事だけを毎日考えて自転車トレーニングをしているわけではなくて、ただ好きだからやっているだけなのですが、結果として私が年老いて子供の世話になる可能性はかなり低くなりました。

 

私が将来にわたって頼りにしているのは、子供ではなくて自分自身です。人はとりあえずこうあるべきだと思います。これが本当の意味でお釈迦様が説いている「自灯明、自分を頼りに生きていけ」ですね。「子供を頼りに生きて行け」などとはお釈迦様は言っていないのです。

 

特に障害も無いのに、トレーニングも健康管理も何もせず「歳をとったらこんなになっちゃいました~!お世話してくださ~い。」ではなくて、年老いてからも自分で自分を鍛えていくのが「自灯明」の極みだと私は思いますよ。ここが年老いても自分と自分の周りを含めて幸せに生きる人と、自分も周りも不幸せになる人の違いですね。死ぬまで人生は「自灯明(自分を頼りに生きていけ)」です。

 

合掌

 

仏光

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