執着と愛情の違い | 仏光さんの心の相談室

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昨日の日曜日は、朝8時半からお兄ちゃんの方の孫を連れて田子の浦港までロードバイクトレーニングをしてきました。お兄ちゃんは今小学6年生で、田子の浦港まで孫の家からだと往復45kmあるので、孫の様子を見ながらそこまで行けるかどうか判断しようと思って走り出しました。

 

ライドの安全に必要な基本的なハンドサインは教えてあります。最初からまあまあのペースで走っているのに、きちっと私の後ろに付けて走っているので、「なかなか上達したな」と思いました。風が弱かったので、田子の浦までのコースは海辺の堤防の上を走りました。

 

天気が良く、駿河湾の海は穏やかでとてもきれいです。私は目的地を孫に伝えずに走りだしましたが、孫は海辺を走って喜んでいました。しばらく走っているとさすがにどこまで行くのか不安になって来たみたいで「どこまで走るの?」と自転車に乗りながら聞いて来ます。

 

目的地近くだったのですが、「ちょっと休もうか?」と言ってロードバイクを停めました。そこで持ってきたプロテインバーを二人で1本ずつ食べて5分ほど小休止しました。先に田子の浦港にある工場の煙突が見えていたので「あそこまで走るのだよ」と言ってまた走り出しました。

 

そこからはほどなく目的地に着いて、トイレ休憩をしてまた来た道を今度は沼津港に向かって走りだしました。帰りはもっとペースを上げて走ったのですが、小学6年生にしてはしっかりついてくるのでちょっと感心しました。

 

45kmを走って孫の家の近くで別れましたが、分かれる前に「今日はとっても良い走りだったよ。いい素質がある。じいじは感心しました」といっぱい褒めてあげました。またこれからも日曜日毎に時間がある時には一緒に走ることになりました。

 

その内プロショップのトレーニングライドに孫も参加させようと思っています。そのプロショップでロードバイクを買った人はみんな参加資格があるのですが、やはりレベルが高いので、それなりのレベルでないと皆さんの足を引っ張ることになって、初心者はなかなか参加しづらいです。

 

私が見ていて「これならいける」と思った時に孫と話して参加する予定です。たぶんそれには1年くらいかかるでしょうね。でもそこで私が孫の世話に一生懸命になるという事は全くありません。そこが普通のおじいちゃんやおばあちゃんと違うのかも知れません。

 

要するに家族であっても孫に対して私の中に執着が無いのです。来たら可愛がってあげるけど、だからと言って普段孫の事を思い続けるなどという事は無いのですね。よく「孫の結婚式に出るまでは生きたい」などと言っている同年代の人を見かけますが、私からするとさっぱりその気持ちが分かりません。

 

私の寿命と孫の結婚式は何の関係も無いし、今の私にとっては孫の結婚式などどうでもよいことです。そういう意味では執着が無いし、執着が無いとその分「苦」が少なくなるので楽です。反対に家に執着があると家で苦しむし、お金に執着があるとお金に苦しむし、家族に執着があれば家族で苦しむし、社会的地位に執着があると社会的地位で苦しむことになります。

 

これは執着と愛情とは全く違うものだからですね。人は愛情と執着をごっちゃにしてしまって、何が愛情で何が執着なのか分からなくなっている場合が多いです。だから「私がこんなに思ってあげているのに、あなたはもう・・・・・!」などと怒り出すのです。

 

家に対して執着ではなく愛情や感謝があると、家があることにより幸せになります。お金に執着ではなく、愛情や感謝があるとお金に困ることが無くなります。家族に対して執着ではなく、愛情や感謝があれば家族と一緒に幸せになります。自分が得た社会的地位に執着ではなく、愛情や感謝があれば、その社会的地位により幸せになります。

 

執着なのか、愛情と感謝なのかが「苦」と「幸せ」を分ける分岐点なのですね。だから溺愛とか渇愛とかは全部執着で愛情ではありません。ましてや感謝からは程遠いものです。それらは思い通りにならないと怒りの元となり、人を攻撃して自分も苦の境地へと導いていきます。

 

こういう人ばかりではありませんが、こういう人も多いのです。私自身気を付けていないと、何かに執着する思いが出てきます。愛するというのと執着するというのは、ある意味紙一重の所がありますね。

 

私は執着と愛情との違いを自分で判断するのには、そこに感謝の念があるかどうかで、執着なのか愛情なのかが分かると思っています。もし感謝の念があればそれは愛情ですね。執着に怒りや不安はあっても、感謝はありませんから。

 

だから自分の人生も、毎日感謝しながら過ごしていきたいものです。私も本当に気を付けないと物事に執着したりすると思います。今日も色々あるけれども、それなりに予定通り事が運んでいます。欲を言ったらきりがありません。昨日も今日もそして明日も、感謝して生きて行きますね。いつもありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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