「無為自然」自然の流れに身を任せる | 仏光さんの心の相談室

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今日は日曜日。プロショップの練習ライドに行って来ました。今日はいつもより人数が少なく、しかも速いメンバーばかりでした。だから少しスピードが上がって、旧国道一号線を時速30~35kmで総距離60kmを走りました。

 

以前ならこのメンバーについていくことすらできない私でしたが、今は普通に隊列を組んで息が上がることも無く走れます。本当に強くなったなと思いました。

 

でも今日は帰り道の何でもない赤信号の手前で、しかも時速10km以下に減速している状態で一人が落車して結局救急車を呼ぶことになりました。多分左股関節辺りを骨折していると思います。

 

彼は外科医らしいのですが、しばらく自転車には乗れないでしょう。前回のトレーニングでも私が止まっているところへ、彼が後ろから私に突っ込んできたことがありました。その時は私も私の自転車にも何事も無かったのですが、きめ細かな注意力が少し欠けていたのかもしれません。

 

小さな「ヒヤリ、ハット」が続くことが、いずれは大きなアクシデントにつながるのが安全管理の基本理論ですが、今日はその通りになってしまいました。

 

これは他人ごとではないので、私もより気を引き締めてトレーニングに参加していきたいと思います。特に一人ではなく、みんなで走っている時は周りに迷惑が掛かりますから注意が必要ですね。

 

さて、二日前にロードバイクに乗って裾野方面へヒルクライムのトレーニングをしていた時の事です。そこで大きな悟りがありました。最近人の嫌な部分を見ることが多くて、「この辺りで普通と言われている人とはこういうものか?」と、人に対する不信感から私の心が乱れていたと思います。

 

もちろんみんながみんなそうではないのですが、「こういう人の世で生きていくのはしんどいな」と思いました。もちろん人生はお釈迦様が言うように「苦」なのだから、これも「怨憎会苦(嫌な奴と会わなければいけない苦)」で、しょうがないのですが心穏やかには過ごせません。

 

その中でヒルクライムのトレーニングをしていた時です。ふと昔の中国の思想家の「老子」の「無為自然(むいしぜん)」という言葉が出て来てはっとしたのです。「無為自然」とは何も作為的なことはせず、自然の流れに身を任せるという事です。

 

人は作為的に何でも自分の思い通りにしたいのが普通で、自分の思い通りにならないと大きな苦を感じるのです。これが「求不得苦、(思い通りにならない苦)」で「怨憎会苦」と共に人間の根幹的な苦、四苦八苦になっています。

 

人の世が自分の思い通りにならないのは当たり前で、でもそれが苦になって生きていくのが嫌なので、「いったいこれから生きていくのに、どうしたら心穏やかになれるのだろう?」と思っていたところで浮かんできたのが老子の「無為自然」です。

 

意識的だけではなく、無意識にでも思い通りにしようと思って苦になっているのを、思い通りにしようとするのではなくて、まず自分の身に起こる諸々の現実を受け入れた上で、あとは「自然の流れに身を任せる」に変えるのですね。私はその瞬間からとっても心が軽くそして穏やかになっていくのを感じました。

 

その時私が思ったのは、「どうせ遅かれ早かれ自分は死ぬのだから、これからもいつもの通り何でも自分がベストと思うことを精いっぱいしていくけれども、その上でこれからの私のことは自然の流れに任せよう。」という事です。

 

もう一つ老子の有名な言葉に「上善如水(じょうぜんにょすい)」があります。一番良い生き方、身の置き方は「水のように生きることだ」という意味です。

 

水は何ものにも逆らわず上から下に決まった形もなく流れていきますが、ある時には岩をも砕くほど強い力も持ちます。「水のように生きる」のが人生の一番良い生き方だと老子は言っているのですね。こういう思想は、中国の戦乱の世で飢饉とか不安定な社会の中で生まれまた思想です。

 

私は、「無為自然」も「上善如水」も、また「人事を尽くして天命を待つ」もその言葉の意味を知っているだけではなく、日々の生活で実践していたつもりでしたが、真の意味で今までの私は何も実践できていなかったことが分かりました。だから心が乱れていたのです。

 

人の普段は隠れている嫌なところを見ることによって、そういう人の世で生きていくのが嫌になっていました。今までの私ならば「人から離れて八ヶ岳に行って住みたい!」になっていたのですが、今回は「無為自然」と「上善如水」が少し私の身に付いたのかもしれません。

 

それからは私を取り巻く状況は何も変わっていないのに、だいぶ心穏やかになり、毎日生きていることが今までより楽しくなりました。いいものはやはり苦しい思いをしないと本当の意味で身に付かないのですね。実際にはまだ一度も行ったことはありませんが、これで今後私は人から離れるために一々八ヶ岳に行く必要は無いかと思います。

 

私はこれからも自分のベストを尽くした上で、自然の流れに身を任せて生きていきたいと思います。こんな心が楽になる生き方があったのですね。このような言葉は昔から知っていたのですが、知識で知っているとか理解しているのと、「身に付く」のとでは雲泥の差があります。

 

私の自然の流れは「天」が決めます。今までもそうだったし、これからもそうです。これを老子は「道」と呼んでいます。このように思えるようになってから本当に心は楽になったし、怒りの感情もだいぶ減りました。この歳にならないと分からないこともいっぱいあるのですね。たぶんこれからもそうでしょう。

 

流れに身を任せて、これからちょっと山の自宅で昼寝をしますね。これが私の今日の無為自然です。お陰様で体は元気で心は穏やかです。本当にありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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