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昨日は何時ものように朝と昼で70kmのロードバイクトレーニングが出来ましたが、今日は朝から雨で室内のローラートレーニングです。私はローラーを含めて毎日トレーニングしていますが、そのトレーニングの中にも強弱を意識的につけています。

 

筋疲労が残っている場合は、少し軽めにトレーニングすることによって筋疲労が取り除かれます。これは血液を効率よく循環させることによって、疲労物質を筋細胞から取り除いているからだと思います。

 

今日の朝のように雨の日は、ローラーの上で筋疲労をとる軽めのトレーニングをするのが効果的です。今日の朝ローラートレーニングをしている時に、「私はいったい何を思い、何を目指してこれだけのトレーニングをしているのだろう?」と考えました。

 

もちろん健康の為とか一般的な理由はなんぼでも言えるのですが、私自身今は自分の健康を思ってトレーニングしているとは思えません。私にとって健康は結果であって、トレーニングの目的では無いのです。「じゃあ何を目的として自分は一生懸命トレーニングしているのだろう?」と考えたのですね。

 

そしてその答えが見つかりました。それは「満足」するためにトレーニングをしているのです。これは私にとって大きな気づきでした。私はロードバイクに乗って精神的に満足しているのです。

 

この目的はただ単にロードバイクトレーニングだけではなく、人生で何を求めて生きて行けばいいのかが分かったような気がします。

 

多くの人は「幸せ」を目的として人生を生きていると思います。幸せになるためにはお金とか家とか社会的地位が必要だとも一般的に思われています。そういうものを得ることによって自分が目的としている「幸せ」が得られると単純に考えているのですね。

 

結論から言うと、幸せになることを目的として生きている人は幸せにはなれません。これは人生の目的を誤っているのです。もしあなたが学生の時に思っていた幸せを得るための条件である、お金とか家とか家族とか社会的地位を社会人になって何年も働いて得たとします。

 

あなたは会社で働いてそれなりの給料をもらい、結婚して家族があり、家を買って、課長とか部長などの肩書を得たとします。これらのお金や家、家族、社会的地位は学生の時には無かったものです。そして学生の時に幸せの条件と思っていたそれらのものを、社会人になって全部得たら幸せになったか?と言うと、多くの人が全然そうではないのです。

 

そういうものを得ると、もっと給料をもらっている人、もっといい家に住んでいる人、もっと楽しそうに暮らしている家族、もっと立派な肩書を持っている人と自分を見比べて、自分はまだまだ幸せではないと思うのです。

 

「家のローンの支払いがあるので使えるお金は限られているし、住んでいるのは一般的な家で大きくはないし、子供は不登校になっているし、部長にはなったけれども取締役にはなれなかったし・・・」などなど色々な不満が出て来て幸せではないのです。

 

学生の時にはこれが揃えば幸せと思っていたものが全部揃っているのにも関わらず幸せではないのです。これは「幸せ」というものを人生の目的にするからです。「幸せ」を人生の目的にすると幸せにはなれない理由がここにあります。

 

私も若くしてアメリカの上場企業の役員になり、多い報酬、大きな家、高い社会的地位を手に入れていましたが、あまり幸せ感はありませんでした。

 

私が人生の目的としていた幸せとはこんな程度のものだったのです。だから人生の目的を幸せにしてはいけないのですね。そのことに今日の朝はっきり気付きました。では何を人生を生きる目的にするのかと言うと、「満足」することを人生の目的にするのです。

 

私はロードバイクに乗っているとすごく満足です。それだけで一日が楽しくなります。決して豪華な食事ではなく、家でサバとかイワシの干物などをメインディッシュにした野菜中心の質素なバランスの取れた食事をほぼ毎日食べて満足します。

 

長距離を自転車で走ったりする前には、炭水化物を多めに体に入れるのにスーパーで買ってきた一玉38円のうどんを食べてすごく満足です。このようにちょっとしたことに満足を感じ、ちょっとしたことに感謝の念が湧くようになると自然と心は幸せになります。

 

だから私はアメリカの上場企業で役員をやっていた時より今の方が最低100倍は幸せです。これをいくら話しても頭の悪い人は分かってくれません。不憫にも「やっぱりお金が有った方が幸せに決まっている」と思い込んでいるのですね。

 

本当に可哀そうとしか言いようがないのですが、本人は何で自分が可哀そうなのかすら理解できません。こういう人はたぶん一生幸せになることは無いのでしょうね。世の中には自分と周りを見比べて、遜色が無ければそれが幸せと思っている人も多いです。

 

要するにだいたいみんなと一緒で、ちょっとだけ自分が上に出ていればそれが幸せなのですが、他人が上だと幸せではないのです。そんなことで一生を過ごして、死ぬ前に「もっとこうしたら良かった」などと後悔します。またはそれすら分からないかもしれません。

 

だから今日の私の悟りは、ちょっとしたことで満足できて、感謝の念が湧いてくるような心の境涯こそが幸せなのだと思いました。人生は幸せを目的とするのではなくて、満足をその目的にするべきなのです。

 

今日は雨でローラートレーニングしながらこんな気づきがあったのだから、修善寺まで50km走らなくても私はとっても満足です。ありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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