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昨日は寝坊して朝のトレーニングは30kmしか走れませんでした。でも昼休みに時間があったので、修善寺温泉まで往復55km走ってきました。だから合計走行距離は85kmになります。帰りの狩野川の堤防ですごく速い女性ライダーに抜かれました。以前にも西伊豆の大瀬崎の登りで抜かれたことがある女性だと思います。

 

橋のたもとの一旦停止のところで追いついたので、「メチャ速いですね~!」と声をかけるととっても嬉しそうに「こんにちは」と挨拶していました。素人ではあの速さは無理だと思うので、プロかセミプロでレースをやっている女性だと思います。

 

まあ世の中はいくら頑張っても上には上が居るもので、人と競い合っていてもきりがないのですね。昔の私は自己承認欲求がバンバンにあったので、すぐに人と競って米国上場企業の役員とかになっていましたが、今から思えば大変頭の悪い生き方をしていたものだなと思います。

 

今私が競っているのは自分自身です。昨日よりも今日、今日よりも明日、心身ともにもっと強くなりたいと思って毎日仕事やトレーニングを頑張っています。以前よりブログに書いているように、いい意味で私は人のことは気になりません。だからその人のことを色々聞き出したりはしません。そんなことは私にとってはどうでもよいことなのです。

 

ましてや人が私のことをどう思っているとか、人から何と言われているかなど全く気になりませんね。それはその人の問題で、私の問題ではありません。人からよく思われたいために、また人から自分だけ浮かないように、人のことを気にして生きている人間は、本当の意味で一生幸せを感じることは無いですね。

 

そういう人達は人が自分のことをどう思うかが大切だから、自分の幸せが人の頭の中にあることになるのです。私の場合は、私の幸せが人の脳みその中にあるなんてあり得ないと思っています。でも人からどのように見られているかが気になる人は、その人の幸せは人の脳みその中にあるのですね。

 

人から良く思われたら幸せで、人が自分の悪口を言っていたら死ぬほど気になって不幸な気持ちにになるというのは、自分の幸せが人の脳みそでどう思われるか次第ということになります。

 

もちろん多くの人はこの話を聞くと「ああなるほどな!」とその時は思うのですが、1時間もすれば元の木阿弥に戻って、世の中で自分が如歳なく、特に人から浮き上がることもなく生きているかどうかと無意識に人を気にしながら暮らしていきます。

 

そういう人には本当の幸せなどやって来ないのですね。もう潜在意識の中で、人にどう思われているのかが日々の行動基準になっているのですから仕方がないのです。そしてみんながそうだから私もそれでいいのだと思っています。私は人のことは気になりませんが、自分のことは気になります。それでいて人間社会で何か問題が起こるということは全くありません。

 

自分に関しては「偉そうなこと言っているけれども、本当にベストが尽くせているか?」「もっといい方法があるのではないか?」「どうしたらもっと強くそして速くなれるのか?」などと色々気になるのですね。

 

そして「もっとこうした方が良かったな」とか「ああしとけば良かった」と後で反省するのです。だから今の私は人とは競い合いませんが、いつも自分とは競い合っています。でも自分との勝負の中に幸せがあるので、私の幸せは人の頭の中ではなくて、自分の頭の中にあるのですね。

 

これは本当に幸せなことです。人ではなくて、自分で自分の幸せが決められるのですから。だからこそ自分の心の置き所が大切なのです。どのような心の置き所を持っていると自分が幸せになるのか、いつもよく自分を観察すればいいのですね。心の置き所が悪いと不幸せになるし、心の置き所が良いと幸せになります。

 

毎日何かしら嫌なことが起こりますが、そういう嫌なことに心を費やすことなくして過ごしていける方法をいつも模索しています。今日の昼休みも自転車で走っていると、いきなり子供が自転車で横の道から私の前に飛び出してきてぶつかりそうになりました。私は急ブレーキで衝突を回避したのですが、自転車が倒れそうになって、右膝を少しすりむいて変速機にも少し傷がつきました。

 

これで私が「ああついてない!」とブルーな気持ちになったかと言うとそうではなくて、「ああ衝突が回避できて子供に怪我が無くて本当に良かった。」と心底思えました。自転車も一番大切なフレームには傷一つなく、変速機に少し傷がいったくらいなので、「人では無く物で良かった」とありがたく思えました。

 

相手の子供も私が倒れそうになるのを見て、「ごめんなさい」とすぐに謝っていました。私は「いい子だな」と思いました。これが心の置き所ですね。心の置き所一つで不幸せにもなり幸せにもなるのです。だから私の幸せは人の脳みその中ではなく、自分の脳みその中にあります。

 

自分が自分の人生を良くしたいと思うならば、自分は自分のために生きているのか?人から良く思われるために生きているのか?とよく考えてみることです。人の前ではうまく振舞っているつもりでも、中身のない人間はいつかぼろを出します。

 

相手はそのぼろに気付いていても何も言わないでしょう。そしてあなたが心配しなくても、あなたの居ないところで必ずあなたの悪口を言っていることでしょう。いくら社会的にうまくやっているつもりでも、中身のない人間とはまあそんなものです。それでも自分はうまくやっているとそういう人間は信じ込んでいます。

 

自分の人生は自分のためにあるのであって、人から良く思われるためにあるのではないのです。人からどう思われているかなど気にならない。人とも競い合わない。私はこれをやっていて結構複雑な人間社会の中で問題も無く幸せに暮らしています。

 

真の意味で自分のために生きる人生が、人ではなく自分の脳みその中に自分の幸せがあることになり、結果として良い人生につながっていくのだと私は思っています。

 

合掌

 

仏光

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