不条理な世の中で心穏やかに生きる方法 | 仏光さんの心の相談室

不条理な世の中で心穏やかに生きる方法

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今日は台風の影響で雨が降っているので、朝の自転車トレーニングは休みです。でも台風が南海上に外れてくれて良かったです。昼には晴れるみたいなので、昼休みのトレーニングはする予定です。昨日は良い天気で朝と昼で合わせて50kmのトレーニングができて満足です。

 

さて、私は毎日できるだけ自分が楽しく過ごせるように工夫をしながら過ごしています。自転車トレーニングもその一環ですが、おかげで自分の一日は何とか充実させることができます。

 

でも私がこの世の中に満足して生きているかと言うと、正直なところ全くそうではありません。私のような仕事をしていると、人の嫌な部分をそれこそ嫌と言うほど見なくてはならないところもあるので、「あ~あ、人というのはいざとなれば本当に自分勝手でこんなものか」と思うことがよくあります。

 

結局表面上は話を合わせたり、うまく言い訳をしたりして、良い人を演じていますが、実は自分の思い通りにしたいのですね。「いくら表面上話を合わせていてもいざとなれば本音が出てくるぞ」と思っていると案の定自分勝手な本音が出てきます。

 

最初から本音で話せばいいのに、それでは自分が悪い人になってしまうのでその場では本音は言わないのです。まあこれは世の中一般では当たり前のことです。そういうことも踏まえた上で、自分も本音を隠しながら、周りと合わせてうまく世渡りしていくのが人生であると思っている人も多いです。

 

私も昔はそうでしたが、今はそういうことをしている自分が卑しく卑怯に思えるので、とりあえず本音で話すようにしています。ありがたいのは普通に本音で話していても、特に社会生活をしていく上で問題が起こってはいません。

 

まあ他の人はどうであれ、これからも自分は本音で生きて行くことにします。本当は自分勝手なのに、自分勝手でないように見せるために色々言い訳したり、周りの目を意識していい人を演じたりして暮らしていくのは、過去の自分を振り返ってみても、つくづくアホらしい生き方だなといつの頃からか思うようになりました。

 

もし本音を言って、それで色々軋轢が起きて暮らしにくくなるのであれば、自分はそういう本音、本質を持った人間であると認識した方がいいですね。政治家などは本音とは裏腹にきれいな言葉を使って如何にも「多くの人の事を思っています」みたいなことを言います。でも本音は自分の事でいっぱいです。当り前のことですが、本音を言うと損をするので言わないのですね。

 

まあみんなもそれが分かっていて政治家が言っていることを聞いていると思います。本当にこの国の場合は本音と建前で社会が成り立っているので、考えてみれば結構あほらしいことをしながら多くの人が暮らしているのですね。そして「それが世の中で、そういう風に生きて行くのが正しい」と一生涯思っているのです。

 

私の場合、本当に嫌なのですが、相手が何を言っていても、その本心がすぐに分かります。でも見て見ぬふりをして過ごしています。わざわざ「お前の本音はこうだろう!」などと言うことはもちろんありません。ただ人によっては違う角度から、逸話を使いながら説いて諭すことはあります。

 

世の中の事を考えると本当に憤ってしまいます。でもそれではいつも腹が立っていなければならないので、自分が憤ってしまうと意識的に自分の頭にある考えを変えるようにします。自分の頭にある考えを変えるのに一番良い方法は、目の前の事に全身全霊を集中することです。

 

「あの野郎許せねえ」などと思いながら目の前の仕事をするのではなくて、ただ目の前のことに集中するのですね。そうすると結果としていい仕事ができるし、家事もはかどります。

 

私の場合自転車でヒルクライムをしていると、頭でいくら「あの野郎許せねえ!」と思っていても、しんどくてアップアップしてきて自転車のペダルを漕ぐこと以外に何も考えられなくなります。一生懸命ペダルを漕いで目的地にゴールすると、「あの野郎許せねえ」はもうどこかに飛んでいて達成感だけが残るのですね。

 

そして心がすがすがしいのです。目の前のことに集中するという意味では、私にとって自転車は最適ですね。心肺機能や筋肉がアップアップしてくると坐禅や瞑想よりも、もっと物理的、そして生理学的に頭から要らぬ考えが無くなります。要するに要らぬ考えを考えている余裕が無くなるのですね。しかも健康がサービスで付いてきます。

 

日本の縄文時代に人間同士の争いの痕跡がほとんどないのは、狩猟採集で生きて行くのに精いっぱいなのと、同じグループ内で食べ物を公平に分配しているのが原因と私は思います。これは生きて行くこと自体は大変だけれども、心穏やかな人生だと思いますよ。

 

「分かち合うことにより自分の物惜しみに打ち勝て」というお釈迦様の教えが自然にできている環境なのですね。現代社会は政治家を見ても分かるように自分の欲だらけで、そのように生きて行くことはもうできません。

 

でも自分一人だけならば、自分に合った方法で要らぬ考えを頭から取り除いてこの世で自然の摂理に沿って生きて行くことがある程度はできます。自分勝手な人間に怒っていてもきりがないですからね。

 

そのようにしながらとにかくこの世で私の寿命を全うすることに毎日集中していきますね。本当は縄文人のように生きて行きたいと私は思います。とりあえず来年早々に町の講習と試験を受けて「わな猟師」の免許を取る予定です。

 

これで家の周りに出て被害を出しているイノシシやシカを獲って、命を頂いて、長男とさばいて食料にします。獲物をさばくのはアメリカでやっていた長男がとっても上手です。大切なのは知識、観念、思い込みで口で言っているのではなくて実践することです。

 

殺生云々と言いながらスーパーで肉を買っていても、命を頂く部分は誰かにやってもらって見て見ぬふりをしているだけですからね。自分でやると命の尊厳が身に染みて分かると思います。少しは縄文人に近づけるかな。そうなれば嬉しいです。

 

合掌

 

仏光

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