思い通りにならない人生
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今日はなかなか思い通りに行かないことがあり、珍しく心をそれに費やしました。そういうことが随分最近は少なくなったのですが、人生にはこういうことが無くなるという事はありませんね。多くの問題は降って湧いたように突然起こります。色々な事をその都度一つずつ乗り越えていくしかありません。とりあえず今日の昼も筋トレをしてきました。こういう時に大切なのは普段通りのことをすることだと思っています。何かをする事によって、今していることに心を集中するようにするのですね。
そうする事によって要らぬことを考える時間を少なくして、心に平穏を取り戻していくのです。一番悪いのは、何もせずに嫌なことを考え続けることです。これは問題を必要以上に大きくしていきます。心を病む事につながっていくのですね。だから何でも良いから一つ建設的なことをするように自分を仕向けます。何か建設的なことができればその分心は軽くなります。もちろんそれで問題が解決するわけではありませんが、そういうことを続けていくと大概の問題は後は時間が解決してくれます。
振り返ってみれば、思い通りにならない事が自分の人生の中で如何に多かった事かと思います。それでも60年間生きてこられたということは、色々な問題があったにせよ、それらの問題は時間と共に解決してきたのですね。私のような仕事をしていると、人が相手なので思い通りにならない事があっても不思議ではないのです。
法華経に「衆生病む。故に我病む」という一節があります。これは「人々が苦しんでいる、だから自分も苦しむ」という意味です。人の苦しみを我が苦しみと捉えることのできる慈悲心の境涯を言っているのです。自分さえよければ良いという人には関係ありませんが、人の苦しみを共感できる心の境涯は大切だと私は思っています。相手が自分勝手に振舞ってきて、私がそれに共感するという事はありませんが、何も悪い事はしていないのに苦しんでいる人にはできるだけの事をしたいと思っています。
それでもマザーテレサの逆説の10か条に「人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。」という一節があります。私はこういうことを実際に経験する事があります。本当に嫌になるのですが、「それでもなお、人を助けなさい」というところが私の修行だと思っています。
普通は「助けようと思ったら攻撃されたので、人を助けるのもほどほどにしておこう。世間とはそういうものだ。」と思うものです。それでもなお人を助けるというのには強い意志と信念が必要です。そこが修行だと私は思うのです。本当の心の修行とは、こういう実生活の中にある数々の思い通りにならない事を乗り越えていく中にあるのですね。これは「言うに易し、行うに難し」です。でもそれを下手なりにも続けていく事が私を成長させてくれます。
今の世の中に生きていて、「雲一点も無い青空のように心が晴れ渡る」ということが死ぬまであるのかな?と思います。どこかの山寺で坐禅をしながら「心が晴れた」と言うのは簡単ですが、これは自己満足ですね。ドロドロの実生活の中で苦しみながらも心の安定を図っていくところに本当の仏道修行があると思います。私はこういう人生を死ぬまで続けていくのでしょうね。ご苦労さんな話だけれどもコツコツやっていきますね。その内良い事もまたやって来ますから。思い通りにならない事がある。また思い通りになることもある。これはみんな一緒です。それが人生ですね。
合掌
仏光
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