2017-09-22 06:55:02

アリと同じ

テーマ:お釈迦様の教え

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水曜日は昼休みに筋トレをして、昨日は水泳をしました。ゆっくり身体を休ませたせいか、今まで通りに何の問題も無くトレーニングができました。本当に当たり前のことが当たり前にできるというのは幸せなことですね。今週は祝日の影響で、仕事の営業日数が4日間しかなくて、毎日とっても忙しいのですが、それでも頑張って昼休みのトレーニングには行きたいと思います。

 

今まで通りにいつまで仕事や修行やトレーニングが続けられるのか分かりませんが、私の人生の目標が死ぬ前の日まで仕事と修行とトレーニングをする事ですから、それができれば本望です。今はなかなか病院で症状が改善しない人が平均して1週間に100人くらい私のところに来られます。そのうち95%以上の人が回復または改善されています。中には私の事を頼りにしておられる人も居られますので、できるだけ元気で長生きしたいなと思っています。

 

自分のことだけを考えると、明日死んでも何の文句もありませんが、やはりそれだけでは済まされないのだなと今は思います。天は私に超自然的な能力も含めて、色々な力を与えてくれています。そういう力をこの世で人様のお役に立つために使うのが私の使命だと思っています。そう考えると私は私個人の事だけを考えていれば良いという訳にはいかないのですね。長く生きてその力を惜しむことなく使っていくのも使命です。

 

昔ビジネスマンをしていた頃の私は、自分と自分の家族の幸せだけを考えて、「後はうまく世の中を渡っていけば良い」程度の考えでいましたが、まあ人間が小さかったなと思います。でも世の中と言うのはそんなもんで、こちらが一生懸命していてもそれがいつも報われるかと言うと、相手によってはそうでない時も多々あります。最初の頃は人の自分勝手さをずいぶん理不尽に感じたものですが、最近はあまり気にならなくなりました。まあ考えてみれば昔の自分も自分勝手な人間でしたからね。

 

人は人に認められたいという欲があります。それは自己認証欲求や名誉欲となって現われます。まあそれも人間的な自然な欲求かも知れません。ところが最近の私は先日もブログに書いたように、そういう欲が無くなってきました。人に認められるとか認められないとかは自分の中でもうどうでも良くなってきたのですね。そういうこと自体が本当にちっぽけなものに思えるようになってきたのです。認められても認められなくても、しなければならない事を淡々とするだけです。

 

それは合掌瞑想をして、宇宙という観点から地球や人間社会を見るようになってきたからだと思っています。私はこの人間社会も昆虫のアリの行列と同じように感じるようになって来ました。私達はアリの行列を見ても特に何にも感じません。「ああアリが行列しているな」程度の事です。でもアリの観点から見れば、「この強靭なあごを見てくれ」とか「俺はこんなに食料を確保できる能力があって凄いだろう」と思いながら過ごしているアリもいるかも知れません。

 

もちろんアリにそのような知能が無い事は分かっていますが、アリはアリなりにアリの社会で「個」として頑張って、社会の一員として認めてもらうことで生きているのです。でも人間の私にはアリはみんな同じに見えます。「オッ!このアリは凄いな」などと思ったことはありません。人間社会も宇宙と言う観点から見れば、どこにあるのか分からなくなるような地球という星の上にへばりついて生きている人間の中で「この俺は凄いだろう!」と思いながら生きているのです。あいつに勝ったとか負けたとか言いながら生きているのです。

 

そんなものアリの行列を見ている人間のように、宇宙から見ればどうでも良い事です。アリにとってアリの社会が全てであるように、人間にとって人間社会が全てであると思って殆どの人は生きています。だからそこで認められたいのです。でも宇宙という観点から見ればそんな事どうでも良いことなのですね。どうせ認められたところで相手は高々人間ですから。それはアリがアリの社会で「お前のあごは凄い」と認められているのと同じ事で、人間の私にとってそのアリのあごの力などどうでも良いのです。

 

合掌瞑想によって宇宙的視野と言うか観点を持つと、人間社会で認められようと泣いたり笑ったりしながら生きていること自体が大変ちっぽけに見えてきます。ともあれ私も人間ですから、一応人間社会のことはできるだけします。ちゃんと仕事をしていれば、必要なものはお金も含めてちゃんと入ってきますし、それで生活に不自由する事はありません。まあ事業的にもまた個人としての一日の過ごし方にしてもとりあえず満足しています。

 

でも一方で「それがどうした」と思っています。そんな事に自分の全価値観を置かなくなってきたのですね。人間社会で自分がどうこうというのは、仕事や修行やその他の生活がちゃんとできていても、まだまだちっぽけな話で宇宙から見れば私などアリの一匹と同じです。そんな程度の人間が他と比べならが「自分は大したものだ」とか「社会で人に立派と思われるようになりたい」とか思っているのは愚かな事に思えます。

 

お釈迦様は、「愚か者が自分は愚かだと分かっていればそれは賢者である。自分は賢者であると思っている人間はそれは愚者である」と言っておられます。今までは仏教的な知識で、「煩悩だらけの自分が自我をむき出しにしながら大したものだと思っているのは愚者で、自分のそういう愚かさをちゃんと分かっている事が賢者である」程度の理解しかしていませんでした。まあ大概の仏教書でもその程度の解説がしてあります。

 

ところが最近になってそれは違うなと思うようになりました。宇宙的観点からみると人間社会で自分がどうこうと、それが全てのように思っている、この人間としての世界観の小ささ自体が愚かなのだと気付きました。それはアリが宇宙の中で自分の小ささに気付くようなものです。これは身体のサイズの話だけではなく、自分が頭の中に構築している世界観の小ささに気付くのですね。これは知識で理解する事ではなく、気付きなのです。

 

そうすると今まで何と小さな世界で生きてきたのだろうと思えるようになります。「あいつがどうだ」とか「こいつがこんな事を言った」とか「自分は認められて凄い」とか、「禅をやっていて老師になれば一丁前」とか、まあそんな事を思いながら一生を生きていること自体がちっぽけな話だなと気付けるようになるのですね。これは本当に中村和尚から教えて貰った合掌瞑想のお陰です。

 

お釈迦様はこれに気付かれたのだと思いますよ。だから「愚者が自分を愚者と知るならばそれは賢者である」なのですね。小さな人間社会にとらわれることなく、みんな正々堂々とこの大宇宙で、この命をみなぎらせながら自分がしなければならないことをして、胸を張って生きていけば良いのだと私は思いますよ。人間はそれで宇宙的に良いのですね。

 

合掌

 

仏光

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