人生は心配より感謝 | 仏光さんの心の相談室

人生は心配より感謝

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昨日は結構仕事が忙しくて、家に帰るのが夜遅くなってしまいました。年末年始が終わって、ちょっと仕事が静かになるのかなと思っていたら、そうではなかったみたいです。これは事業主としては大変ありがたいことなのですが、普段暇になったらやろうと思っていたことがなかなか進みません。でも、そういう時は「その仕事は今しなくてもいいのだ」と思うようにしています。

 

どうしてもしなければならない時が来ると思っているので、それまでその仕事は温存しておきます。あまり頑張り過ぎて体調を崩したりしたら元も子もないので、そこら辺は自分の中で融通を利かせています。一生の時間は限られていますが、別に生き急ぐ必要は無いのです。その日一日目の前にあるしなければならないことを片付けないと次に進めませんからね。

 

世の中には仕事も健康も生活も、自分が思っているようにならないと気になってしょうがない人が居ます。私もそういう人からよく相談を受けます。全てにおいて自分が思うようにパーフェクトでないと嫌なのですね。特に健康に関しては、歳を取ると色々問題が出てきて当たり前なのですが、それが受け入れられずに苦しんでいる人が多いです。

 

どこか具合が悪くなると、そのことが気になって、それが心配に発展して、その心配な考えがぐるぐる頭の中を駆け巡るようになるのですね。これは健康に限らず、心配する人はどんな題材でも心配するのです。いつも「こうなるのではないか?ああなるのではないか?」と先のことを心配しています。その心配から心で自分の病気を作っている人も居ます。

 

多くの人は、心配していても状況は良くならないということをよく理解した上で心配しています。いったん心配すると自分でその心配を止められないのですね。そういう人に共通しているのは、感謝する気持ちが少ないことです。心配性の人は色々うまいこといっていて当たり前で、うまく行かないことがあるとそれが受け入れられないのですね。

 

これをお釈迦様は四苦八苦の中で「求不得苦(ぐふとくく)」と言っておられます。求不得苦とは「思い通りにならない苦」という意味です。人生は思い通りにならない。だから思い通りにしようとして人は苦しむということになるのですね。人は自分の思い通りに全ての物事が進んでいって欲しいと思っています。でも真理としては、人生は思い通りにはならないのが基本なのです。

 

自分の体ですら思い通りにはなりません。いくら健康に気をつけていても、癌になる時は癌になります。思い通りにはならないのですね。ただ求不得苦の真理を自分のものとして得ていると、癌になることもそれほど気にしなくなります。

 

私のところへ来ている80歳近い散髪屋さんの男性は、肺がんなのですが、全く自分が癌であることを気にしていません。そして病院には検査にだけ半年に一度行くだけで、一切一般に言われる病院の癌治療というものを受けていません。随分長く私のところに通っておられますが、いつも大変元気です。

 

その人は私のところに月に一度ほど来ていさえすれば、自分は大丈夫と思い込んでいるみたいです。そして実際病院の検査でもここ3年ほど癌は全く広がっていないのです。私はその人が他の理由で死んでも癌で死ぬことは無いだろうと思っています。そして本人は毎週のゴルフをはじめ毎日の生活を人の世話を焼きながら楽しんでいます。

 

思い通りにならないことが自分の身に起こっても、それを気にしなければ思い通りになっているのと同じなのですね。その人は癌のことを心配するより、毎週元気にゴルフが楽しめることをいつも「ありがたい」と言って感謝しています。そして「自分はもうこれだけ生きてきて、今でも仕事とゴルフができているので幸運だ」と思っているのですね。

 

私はこういう人が実際にお釈迦様の真理を得ていると思うのです。真理を得るのに学歴は関係ありません。その人は中卒ですが、大学を出て色々なことを心配して思い悩んでいる人よりよほど心としては優れていると思います。

 

人生で足りない部分、欠けている部分を心配して思い悩むより、自分に与えられているものに感謝しているのです。こういうものの考え方が人生を幸せに導くのですね。私はもし自分が癌になったら絶対に思い出そうと心に決めていることがあります。

 

それは数年前、所用で近くのがんセンターに行った時の話しです。たまたま行ったところが小児病棟と同じフロアーでした。エレベーターホールでなかなか来ないエレベーターを待っている時に、小児病棟から何人もの子供たちが出てきました。お母さんが付き添ってている子供もいます。

 

その中に2歳くらいの男の子もいました。この子達はみんな癌なのです。私は「こんな小さな体で癌を患って、苦しい思いをして病と闘っているのか」と胸が詰まりました。その子供たちはみんな揃ったところでいっせいに廊下を歩き出しました。

 

中には点滴の器具をガラガラ引いている子もいます。後で聞くと誰かが退院する時に、お別れに病院の中を一緒に散歩するそうです。みんな癌だからそれくらいのことしかできないのですね。その2歳の男の子も同じ病のお兄ちゃん、お姉ちゃんの後についてけなげに歩いていきました。その背中には上着の下からカテーテルのチューブの先が見えていました。

 

自分の病気のことなど何も知らずに、ただお兄ちゃん、お姉ちゃんの後に付いてけなげに歩いていくその男の子の後姿を見た時に、涙がこみ上げてきて、心から自分が代わって上げたいと思いました。私はもう半世紀以上も生きているのです。私は思わず、「もしこの子の命が助かるのなら、どうぞ私の命と代えてあげてください」と天に願いました。

 

私は今年60歳になります。たとえ明日癌になったとしても、その子のことを思えば、私は大変幸運です。もうその男の子はこの世には居ないかも知れません。でも私は本当に色々な経験をして60年も生かさせて貰ったのです。何の文句があるものですか。良いことも悪いこともいっぱいありましたが、こんなに素晴らしい人生を60年も送らせてもらったのですから不足はありません。

 

今生きていることに本当に感謝です。日々ちゃんと暮らせているのならば本来何の文句も無いのが当たり前なのですね。だから私はたとえ明日癌になっても命が尽きるまで生きていることに感謝します。そしてその子のことを思い、癌のことは気にしないでしょう。

 

いざとなってもこういう生き方をすれば、通常ならば落ち込む状況でも、人生は楽しいものであり生きていること自体に感謝なのです。足りないものを心配するより、与えられているものに感謝。これが求不得苦に打ち勝つ心の置きどころですね。

 

合掌

 

仏光

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