度量を大きくする。幸せになる。 | 仏光さんの心の相談室

度量を大きくする。幸せになる。

最近家のパソコンの調子が悪いのでうまくブログを更新できませんでした。そろそろ新しいパソコンを買おうかなと思います。生活するのには色々お金がかかりますね。でもできるだけ私は物質的にシンプルに生きていきたいと思います。もう生きていくのに必要なものは揃っているので、これ以上物を増やさないようにしたいものです。

そういうところは私の家内とわたしとではものの考え方が違います。でもそれはしょうがないことですね。二人とも違う人間なのですから。一緒に住むには相手との違いを受けいれていくしかないのです。私の場合は禅を始める前と禅に入門してからでは全然違う考えを持つようになって、違う人間になったようなものですから色々違うところが出てきてもしょうがないのですね。

家内にも坐禅をするように薦めましたが、どうも性に合わなかったようです。それも仕方がありません。もともと違う人間なのですから。でもやはり禅で見性するのとしないのでは物の見方が違ってきます。だから同じく禅をしていて見性している人と話すと阿吽の呼吸で分かることが坐禅をしていないと全然分からないということにはなります。それはそれで少し寂しいことではあるのですが、まあしょうがないのです。普通に生活していくのに何の支障もありません。

人は相手に自分のことを分かって欲しいという思いがあります。だから「何故分かってくれないの!」と怒ったりするのですが、それは元々無理な話なのですね。100%相手を理解するなどということはできないのです。だからある程度理解する範囲で仲良くできるかできないかで人生が変わってきます。自分との違いを容認できるかできないかが一緒に暮せるか暮らせないかの分かれ目になるのですね。

人にはそれぞれの度量というものがあります。度量が大きいというのは容認できるキャパが大きいということです。キャパが小さいと自分の思う通りに相手が行動しないと許せないということになるのですね。そういう人は相手を自分が思う通りにしたいので支配的になっていきます。こうなると一緒に生活していくのが窮屈になっていくのですね。

自分が幸せに暮したいと思うのならば、相手がどうこうではなくて自分のキャパを大きくすることが一番の近道です。自分が変わると相手も変わります。自分が変わることなく相手が変わってくれるということはありません。受け入れられる範囲を広げるとそれだけ幸せに過ごせることになります。だから今自分が不幸せと感じるならば先ずは自分が変わることです。それでも相手によってはどうしようもない場合がありますから、その時は別れることですね。相手を非難するより自分の見る目が無かったと諦めることです。

人生は一回しかありませんから世間体を考えながら死ぬまで嫌な相手と暮すのは自分の人生がなんだったんだろうと思うことになります。多くはは無駄な努力になってしまいます。人はみんな違うのだから先ずは自分のキャパを広げて相手との違いを受け入れることです。それでも無理ならそれぞれ違う人生を歩むのがそれぞれの幸せになると思います。

基本的にプライドが高い人間はキャパが小さい人間です。自我が小さくなっていってプライドなどクソ食らえくらいに思えるようになると人間のキャパが大きくなりますね。要するに容認できる範囲が広がるのです。同じ一生を生きるのならば自我をできるだけ少なくして自分の度量をより大きくするのが幸せにつながるのだと思いますよ。

そういう意味では私はまだまだですね。昔から比べると雲泥の差で容認できる範囲は広がりましたが、これで良いなどとはちっとも思いません。やっぱりイラつくこともあります。だから私は毎日坐禅をして自分の自我を小さくしながら自分のキャパを広げていくしかないと思っています。

もちろん相手が坐禅をしてくれていたら人間の本性の部分で阿吽の呼吸があるので大変楽です。でも家内を含めて坐禅をしている人など殆ど居ませんから、幸せに暮すためには自分の度量を広げるしかないのですね。私は幸せに一生を暮したいと願っていますので、自分が容認できるキャパを増やす努力は一生続きます。容認できると冷静に対処できますから結果が良いのですね。「人生は苦である」というお釈迦様が説いた真理の中で幸せに暮すのには苦労を重ねなければならないのです。まあ生きている間にお互い大きい人間になりたいものですね。

合掌

仏光

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