自分の誕生日に・・・ | 仏光さんの心の相談室

自分の誕生日に・・・

昨日は私の57歳の誕生日でした。この歳になると誕生日を祝うという感覚は余りありませんが、私にとって朝からとっても良い日でした。まあ良くここまで無事に来れたものです。もちろん山あり谷ありの人生でしたが、今このように元気に生きているという事は「結果オーライ」だったわけです。日本では「オーライ」と言っていますが、英語では「all right」なので直訳すれば「全部正しい」となります。でも半世紀以上も生きてきた割には人間としてはまだまだなので、これからも生きている限りは毎日精進を続けていきたいと思います。

まだ坐禅をやる前、私が本当に苦しかった頃に中村天風先生と澤木興道和尚の考え方に大きく影響を受けました。中村
天風先生からはいつも心を積極的にする大切さとその方法を学びました。澤木興道和尚からは禅の素晴らしさを教えてもらいました。もちろん本人に会った事はありませんが、書かれた本から学んだのです。この両人の本は何冊も何回も読みました。この両人が説かれていることで共通するのが「実践する」事です。

本は何冊読もうが、何回読もうが知識は増えますが、自分の身になるという事はありません。それらの考えを自分のものとするためにはやはり自ら実践しなければならないのです。だから私は
天風先生の説いている心を積極的に保つ方法を毎日実行したし、澤木興道和尚が言っているように実際に禅に入門して老師の弟子にしてもらいました。そこから毎日禅の修業が始まったのです。もちろん充分ではありませんが自分なりに実行していったのですね。

この両先生が言われている事に共通しているのが、「自分は大したこともしないくせに人の事は一生懸命批判して回っている人間が居るが、それは一生を自ら台無しにしているようなものである。人の批判をしている閑があれば自分自らを鍛えよ。」ということです。確かに世の中には大したこともせずに人の揚げ足を取って回っている人間が大勢居ますが、そのような人間の言うことは気にせずに常に不完全である自分を鍛えて少しでも向上していく努力をしていくのは大切なことです。まあお蔭様で私の場合、そういう人間の言う事は全然気にならなくなってきたと思います。

昨日は自分の誕生日だったので、久しぶりに中村
天風先生の本を読みました。何回読んでも学ぶことは多いですね。昔とはまた違う次元で同じ言葉でも学ぶところがあります。そして私が一番好きな澤木興道和尚が言っていた禅の言葉をもう一度読み返しました。

「ただわが身をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方からおこなわれて、それにしたがいもていく時、力も入れず、心も費やさずして、生死を離れ仏となる」

十数年前に読んだこの言葉と、今もう一度読み返したこの言葉の意味は自分の中で随分違うなと思います。やはり毎日坐禅を続けてきたおかげで、この言葉の持つ意味をより深く理解できたような気がします。もしもっと生きることができて、何年か後にもう一度この言葉を読む時には、また違った意味をこの言葉の中に見出すことでしょう。

私は辛い思いをしたからこそ、このような素晴らしい考え方や心のあり方と出会いました。お蔭様で今はその時の辛さは乗り越えることができましたが、今でもまた違う次元で「辛いな」と思う時があります。そんな時にもう一度私が大きく影響を受けた両先生の言葉を学び直すと、そこからまた道が開けていきます。昨日の誕生日にもう一度両先生の言葉を学びなおして、初心を忘れかけていた自分を反省し、これからの生き方の指針となったと思います。昨日はとっても良い私の誕生日だったと思いますよ。

合掌

仏光

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