あって当たり前のものは無い | 仏光さんの心の相談室

あって当たり前のものは無い

今日は朝から台風で大荒れでした。お陰さまで山の上にある我が家は風がひどかったのですが被害がありませんでした。でも私のふるさとの京都では、桂川や淀川が氾濫したみたいでテレビの映像を見ていてとっても悲しくなりました。被害がこれ以上広がらなければ良いなと願っています。災害は起ります。それに遭ってしまうのも避けようが無い時もあります。だからもし自分が災害に遭わなかったのなら、それだけで感謝なのですね。


台風一過の後、青空が広がっていました。風も秋の風になったような気がします。山の上にある私の家の周りでは赤とんぼが飛んでいます。山はもう秋なのですね。白い雲が浮かぶ青空を背景に飛ぶ赤とんぼはとっても可愛いです。数時間前までは暴風雨だったのに、赤とんぼがスイスイ飛んでいるのを見てちょっと不思議な気がしました。


「青空に スイスイ浮かぶ 赤とんぼ (仏光)」


その時にふと「何時まで自分はこのような景色を見ることができるのだろう?」と思いました。私は今、生きているからこの景色を見ることができますが、死んでしまうともう見ることも無いのです。そう思うと生きているのは本当にありがたいなと思いました。これは何でもそうですね。


私達は日々の生活の中で、あって当たり前と思っていることが多いのです。物が食べられて当たり前。歩けて当たり前。家に住んで当たり前。車があって当たり前。家族が居て当たり前。新幹線が走っていて当たり前・・・・などなど、何でも普段の生活が当たり前と思っているのですね。でも、災害に遭えば一挙にその「当たり前」は失われてしまいます。もちろん死んでもそれらは無くなってしまうのですね。


今生きている間だけ、無事に過ごしている間だけ、この「当たり前の生活」があるのです。だから当たり前に一日が過ぎていってくれたらそれはもう感謝だと思います。いつもこのような気持ちで過ごせれば毎日感謝で過ごせますね。今日は台風のあとの景色を見ながら、自分が死ぬ事を真剣にイメージしていたら、今見えている景色そのものが大変ありがたく感じてきました。


よく考えれば、「あって当たり前」などというものは人生には無いのです。災害など何かが起ればすぐにそれらは奪われてしまうのです。もちろん自分が死ぬ時にはそれら全ては無くなります。目を開けたら見える景色すら無くなるのです。そう考えると今自分に与えられているものは「当たり前」ではなくて「奇跡的」なものなのだなと思いました。


宇宙でこのように生命を持って存在しているものはどれだけあるのでしょう?宇宙はその殆どが塵、ガス、岩石、素粒子、放射線、そして空間です。先ず生命を持って生きていて、考えることができる人間に生まれて、仕事があって、住む家があって、食べるものがあって、車があって、愛する人がいて・・・・・となると、これは宇宙空間ではまさに奇跡的な存在ですね。やっぱり無事に一日生きているだけで本当は感謝なのです。ありがたいことです。


合掌


仏光

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