つつがない生活と心の平穏 | 仏光さんの心の相談室

つつがない生活と心の平穏

怒りのある心に平穏は無い。恐れのある心に平穏は無い。恨みのある心に平穏は無い。心配のある心に平穏は無い。嫉妬のある心に平穏は無い。悲しみのある心に平穏は無い。競い合う心に平穏は無い。これは当たり前のことですね。こういう心を持っていながら平穏な心が欲しいと言ってもそれは無いものねだりです。自分が平穏な心を持ちたいと思うならば、自分の心から怒り、恐れ、怨み、心配、嫉妬、悲しみ、競い合いを追放しなければならないのですね。


これは言うのは簡単ですが、行うのは難しい事ですね。こういう当たり前のことを皆は理解する事はできます。でも理解した通りには心は動かないのです。だからいつも心の中には平穏が無いのですね。でも幸せな心は平穏な心です。「私の心は平穏ではありませんが私は幸せです。」という状態はありえないのです。本当の幸せ感を得るためには心は平穏でなければなりません。


ではどのようにしてこの平穏な心を持つことができるのでしょう?一口で言うと自我を無くし、恨みを無くし、欲を無くせば心は平穏になります。怒り、恐れ、怨み、心配、嫉妬、悲しみ、競い合いなどの心は全て自分の自我と自分の欲と怨みから生まれます。本当に欲と怨みの無い人の心は平穏で穏やかですね。私はまだまだ欲があるみたいで、なかなかそこまで心は平穏にはならないです。


でも昔の事を思えばこれでも心は断然穏やかになっています。人生を生きていればそりゃ色々なことが起りますが、そういうことが起っても心の平穏をある程度保てるようになりました。これも坐禅のお陰だと思います。要するに自我が少なくなり欲が少なくなるのですね。だからその分心は平穏になります。


100万円欲しい人は1万円で満足できる人より100倍心を費やさなければなりません。100万円持っている人は1万円を持っている人より100倍自分のお金を失うかもしれない恐怖を味わう事になります。だから持てば持つほど、欲すれば欲するほど心は苦しみから逃れられなくなります。何も無いのも苦しいと私は思いますが、たくさんあれば苦しくないという事もないのですね。無ければ無いなりにあればあるなりに苦しいのです。


一番良いのはつつがなく暮らせるものだけがあれば良いのですね。大金持ちになる必要もないし、貧乏になる必要もありません。つつがなく暮らせればそれが一番良いのです。このつつがなくの中に心の平穏があると私は思います。このような生活に多くの物やお金は必要ありません。つつがなく暮らすというのはお釈迦様が説く中道そのものと私は思うのですね。両極端はいけないのです。貧乏でもなければ金持ちでもないところに心の平穏が得やすい環境があると思いますよ。


これは何でもそうですね。あり過ぎてもいけないし、無さ過ぎてもいけない。丁度その真ん中が一番良いのですね。欲を無くすという事と貧乏になるという事はイコールではありません。欲が無くても適切な努力をすれば、必要なものは必要分手に入ります。ただ貪らない事です。人間は貪るから不幸になるのです。国家も貪ると領土戦争などをして国民が不幸になっていきます。もっともっとと貪らない事が心の平穏、国家の平穏を保つ基本でしょうね。貪らないという事は自分の欲がコントロールされているという事です。心の平穏はお釈迦様の説く中道にあると私は思いますよ。


合掌


仏光

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