人生とは時間 | 仏光さんの心の相談室

人生とは時間

先日、年老いた母親が危篤状態で、自分も具合が悪くて私のところに来た人が居ました。家族と死に別れたり生き別れたりするのは世の常です。人生の中で何が辛いと言っても愛する人が死んだり、生き別れたりする事は大変辛いものです。私も母親を4年前に癌で亡くしました。最後の最後まで面倒を見ることができたので、私としては悲しいけれどもやれるだけの事はやったという思いがあります。これだけは本当に避けようの無い苦ですね。


お釈迦様はこの苦を「愛別離苦」と言いました。愛するものと別れなければならない苦は人間にとって基本的な苦の一つです。この苦を味わう事の無い人は居ないのです。これは悲しいという思いと寂しいという思いが混在する苦なので、その時は悲しくて寂しくて仕方がなくなります。でも、生まれたならば死ななければならないのが自然の摂理です。この死だけは平等です。金持ちでも貧乏でもいずれは必ず死にます。これほど平等なものは世の中に無いかもしれませんね。


この愛別離苦は死ぬ人の苦ではなく、残された人の苦です。私も自分が死ぬ事については坐禅のお陰で自分の中でとっくに決着が付いていると思いますが、自分ではなく家族を初め、愛する人や飼っている動物たちが死ぬのは大変辛いものです。自分が死ぬより辛いと思います。今回も飼い猫のトラが癌で死にかけましたが、いくら長生きで人間の歳に換算すると92歳になっていたとしても、やっぱり死んだら辛いです。お陰様でトラはすっかり元気を取り戻しました。元気になっていくトラを見るのも毎日の私の楽しみです。本当に死ななくて良かったなと思います。


でもトラも今回は生き延びたかもしれないけれど、何時かは死にます。私より先に死んだらやはりとっても悲しいですね。猫一匹でもこんなに悲しいのだから、やはり愛するものと別れるのは私にとっては大変辛いです。もちろんこれは自然の摂理として受け入れていますが、その時はやはり悲しいですね。だからこそ今生きている間に大切に生きている時間を一緒に過ごすのです。考えてみたら一緒に過ごす一分一秒は大切です。お金や資産は無くなっても取り返すことが出来ますが、時間だけは取り返すことは出来ません。過ぎ去ったら過ぎたままです。そしてこの時間も平等に皆に与えられているのですね。


金持ちには時間があって貧乏人は時間も少ないという事は無いのです。死も時間も平等に与えられています。だから今、何気なく過ごしている生きている時間はいつかは死によって消滅します。私が死んだら私の時間はその時点で止まるのです。だから今一緒に生きている人や動物は私と私の時間を共有しているのです。この私の時間というものがつまりは人生なのですね。結局、「人生とは時間」なのです。だから、一緒に過ごす時間は大切なのです。私もトラと一緒に暮らしてきた毎日はトラが居るのが当たり前で、それほど一緒に過ごしている時間が大切だとは意識しませんでしたが、今は一緒に居る時間を大切に過ごそうと思います。もうこの時間は二度と戻っては来ないのですから。


そのように考えると、時間というのは本当に大切ですね。人生で一番大切なのは時間かもしれません。何時かは私の時間も消滅します。その時までが私の人生なのですね。これはお金では買うことは出来ませんので何よりも大切です。愛する人と別れるのは苦です。しかし別れなければならない場面だけを見つめるのではなく、まだ別れていない今の時間、一緒に過ごしている今の時間を大切にする事に気付く事ですね。死んだり別れてから嘆くのではなく、今一緒に過ごしている時間、この二度と戻らない時間を大切にする事が「愛別離苦」を自分のものとして受け入れる最上の方法だと私は思います。「人生とは時間」である事を大切にしたいですね。自分の時間を大切にするという事は、自分の人生を大切にする事ですから。


合掌


仏光


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