面白く無い世を面白く | 仏光さんの心の相談室

面白く無い世を面白く

大体、世の中というのは、いつの時代もそんなに面白いものではないみたいです。まあ、人間が作る社会ですから、必ず何か問題が起こるし、自我のぶつかり合いはあるし、欲が絡むし、放って置けば面白くないという事になるのですね。これで、世の中が嫌になりどこかの山寺へ逃げ出したいと思う人も出てくるわけです。しかし、この世の中の状況というのは、2500年前のお釈迦様の時代でも同じみたいで、「話してもそしられ、黙っていてもそしられ、およそこの世でそしられない者は居ない。」と言っておられます。お釈迦様ほどの人格でもそしる人間が当時のインドには居たのですね。もし、お釈迦様が今の世の中に生きていたとしても、同じことが起こるでしょう。


お釈迦様もそうですが、そういう事は気にも留めずに生きていくのが、賢い生き方なのです。お陰さまで、私は毎日幸せを感じながら生きていますが、仏法を自分の中心に置くと、案外気楽に幸せに過ごせるものです。禅の修行をしていると、不思議と仏法が身につきますね。もちろん私のレベルはまだまだなのでしょうが、それでも禅を始める前の自分と比べると、毎日の生活の中に天と地の差があることに気づきます。大体、世の中が面白くなくなるのは、人間の欲と自我が作り出す悪しき心のなせる業です。


しかし、こんな事は太古の昔から人間社会では繰り返されている訳で、人間社会とはこういうものだという事をまずは受け入れなければなりません。一々怒っていてもきりが無いのです。もちろん自分が嫌だなと思う人間も居るでしょう。それを仏教では「怨憎会苦」と言うのですが、「嫌な人間と会わなければならない苦。」という意味で、四苦八苦の中の一つに数えられています。そういう人間に対して多くの人は自分の心を向けるから余計嫌になるのです。私なら放って置きますね。今までの禅の祖師方も同じようにしています。


相手が何を言おうが放って置くのです。最初は何とか自分に気持ちを向けさせようとして、色々言ってきますが、放って置くのですね。そんな人間に心を向けるからこの世の中が一段と嫌になるのです。相手はあなたに気分を害して欲しいから色々言ってくるのです。だから一々相手にする事は無いのですね。そういう人間は大体生まれ育ちからして愛情少なく育った可哀想な人なのです。人に気分を害して欲しいと思うくらいですから、人に自分と同じように苦しんで欲しいのです。だから心を向けるだけの価値も無いのですね。


まあ、このようにしていると、嫌な思いをする事が無くなっていきます。するとそれに比例して幸せになっていくのですね。もちろん、心を向けまいとしても、どうしても心が向いてしまうのが人間です。坐禅を続けていると、要らぬ考えを頭から捨てるトレーニングを毎日している訳ですから、自分が嫌と思うことに心を向けなくする事が少しづつできるようになるのですね。


およそこの面白く無い世の中を面白く生きるのには、次の四つの事をしたら良いと思います。一つ目は自分がその日しなければならないことを一生懸命する。二つ目はその日自分が出会う人には、赤の他人でも大切にする。三つ目は消極的な事には心を向けない。四つ目は何時もニコニコ微笑んでいる。以上です。これだけで、面白く無い世の中も相当面白くなりますよ。


合掌


仏光

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