「善因善果、悪因悪果」 | 仏光さんの心の相談室

「善因善果、悪因悪果」

人の昇沈(しょうちん)は 定(さだ)んで 道にあり   (遍照発揮性霊集より)
人が出世するか没落するかは、道理に基づいた生き方をするかどうかで決まる。

昔は、お日さまのことを 「お天道(てんどう)さま」 といっていました。
子供がちょっとでも悪いことをすると、

「お天道さまが見ていますよ。お天道さまに恥ずかしいと思いなさい!」 と叱ったものです。

この人間社会では、人にうそをついたり、人をだましたりすると、
たちまち信用を失ってしまいます。だから私は道理にかなった、
誰もが納得できる行動をしたいものですが、なかなかそうはいきません。
真言宗を興した弘法さんは、天長5年(828)に、日本で最初の庶民のための
「綜芸種智院 (しゅげいちいん)」 という学校を創設されました。
そのとき、つくった校則の中で、こんなことを述べています。

「人が出世するか没落するかは、道理に基づいた生き方をするかどうかで決まる」

この校則は 『遍照発揮性霊集』 という書物の中に残っています。遍照というのは
弘法さんのことです。発揮性霊集とは心情を包み隠さずに書いた詩文などを
集めたもの、という意味です。道理とは天道のことです。
慶応義塾大学を創設した福沢諭吉も、

「天道さま のおきてと申すは、昔むかしその昔より今日の今に至るまで、
少しも間違いあることなし。麦をまけば麦が生え、木の舟は浮き、土の船は沈む。
きまりきったることなれば、人もこれを不思議と思わず。
されば、今善き事をすれば善き事が報い、悪きことをすれば悪きことが報う も、
これまた 天道さまのおきて にて、昔の世から間違いしことなし。然るに天道知らずの
馬鹿者が、目前の利益に迷って、天のおきてを恐れず、悪事を働いて幸いを求めんと
するものあり。この土の舟に乗りて海を渡らんとするに同じ。こんなことで
天道さまが、だまさるべきや。悪事をまけば、悪事が生えるぞ。壁に耳あり、
ふすまに目あり。悪事をなして罪を逃れんとするなかれ」と書き残しています。

弘法さんも福沢さんも、こんなことを書かれるということは、平安時代にも
明治時代にも、ものの道理をわきまえない大ばかものがずいぶんいたのでしょう。
善因善果、悪因悪果(因果の道理)は、仏教の根幹 であり、運命のしくみである。

             (高野山真言宗 大阿闍梨 大栗道榮著「空海の言葉より引用」)

● 「善因善果、悪因悪果」とは、まとめて言うと、
「幸福という運命は、善い行いが生み出したものであり、
不幸や災難という運命は、悪い行いが引き起こしたものである。善いのも悪いのも、
自分の運命のすべては、自分の蒔いたタネが生み出したもの なのだ」 ということです。(立花敏伸氏HPより)

当たり前のことを当たり前にしていたら、当たり前の結果が得られます。ところが、人間、追い込まれたり、目の前の利益に惑わされたり、自分の我が出て自己顕示欲に凝り固まったりすると、当たり前のことができなくなります。自分がしていることが如何に正しいかと飾られた理屈を並べますが、やはり真理と照らすと間違っているのです。そういう人は心のどこかに自分は間違っていると思いながら道理にかなわぬ事をしているのですね。

結局一時は良く見えても、挙句の果てに悪い種の花が咲き自分に災難が降りかかってきます。だから普段から正しいことをするのです。時には正直者が馬鹿を見るように見えることもありますが、結局はよい種の花が咲き、自分に幸せが訪れるでしょう。まあ、当たり前のことですけど。

合掌


仏光

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