週が明け
今週に入り訃報が入りました。
高校の顧問の先生が、
先週、お亡くなりになられたとのこと。
わたしは
先生にとっては
まったく良い生徒でなくて。
たぶん先生の方でも
対峙するのも難しかったと思います。
反抗的で思ったことは顔に出るし
鼻っ柱が強くて
全く迎合もしなかったので。
私は高校入試の際
吹奏楽部に入る前提で入学しましたが
入部してしまうと
楽器漬けで
まったく遊べなくなるとわかっていたので
2ヶ月ほど帰宅部で遊んで過ごし
いよいよ、コンクールに出たいからとなり
6月になり遅れて入部しました。
なんてやつだ
あきらかに怖い先生のところで
3年間、「修行」みたいな生活になるのが
怖かったんでしょうね。
それでも
先生のおかげで
コンクールも、
アンサンブルコンテストも、
関西まで行かせていただきました。
その後、音楽大学にも進学できました。
先生は
感動することが大切!がモットーで
無神経を嫌い(そのおかげでピリピリしてた)
だいたい不機嫌で、気分屋で。
自分のことだけでなく
周りもよく見ることも大事にされ
気がつかないのは悪のように
よくおっしゃっていました。
古い良い映画や
泣ける小説なんかも
たくさん紹介していただいて、
気軽にクラリネットやサックスのソロを
吹いてくれたりしました。
合奏前のチューニングスタイルは
今も私に根付いています。
また、先生のおかげで
ホルンのトレーナーの先生を知り、
トレーナーの先生との付き合いは
今も続いています。
トレーナーの先生を通じて
ホルンパートは
ただの先輩と後輩だけでなく
他のパートの人より
特別な人間関係になったんですよね。。。
私たちの卒業式とともに
顧問の先生も高校から去られましたが、
なんせインパクトの大きい
オンリーワンな先生でした。
自分が指導者になってみてわかること
トレーナーとの関係性って
ケースバイケースだと思うのですが
顧問の先生は
寛容だったんだな、、
トレーナーの先生を好きだったんだな、
信頼していたんだな、
とか、別の見方もしたりしてね。
うちの学年が1番人数が多くて
そのぶんネタもつきなかった。
なつかしいです。
連絡をとった先輩からの
最高で最悪の先生やったわ
という言葉が耳から離れません。
先生、本当にありがとうございました。
どうぞやすらかに
ご冥福をお祈り申し上げます。