この区画にあった原子燃料公社とは、三朝・人形峠のウラン鉱山でウラン採掘をやるようになった会社で、のちの動燃、現在のJAEA(日本原子力開発研究機構)に発展していきます。この区画にあったのは事務所機能と採掘土砂を処理する土砂置き場で、あたりかまわずあちこちを掘っていたらしい。採掘は、山の中だけでなくて倉吉市内のいたるところも行っていたとのことで、雨が降ると大きな水たまりになり、当時の車は簡単にエンコして立ち往生していたらしい。この原子燃料公社の職員住宅は金森町のあたりにあった。

 

 

しってるよ、5「喫茶田園」, 駒井のとこだろ。

タイヨーの真ん前だからな、想いだすだけで胸が疼くね。堺町2丁目ね。わけあって、ここに住んでたよ。

 

 

倉吉市立図書館

 

東町にあったこの図書館のことを覚えているよ。二階建てで階段を上がる一階の上り口付近にキリスト教聖母像のような古ぼけた木製の女性像がおいてあった。二階の窓際でマンガを読んでいたら、この木像が話しかけてくるんだよね。読んでいたマンガの本にでてきたなんか変な曲線に気をつけなさい、って。

 

この図書館で知り合った高校の年上の女性と親しくなってそれはよかったものの、この女性が後年自殺未遂するんだが、この時の叫び声が夢の中にでてきたんだよ。夢を見た翌日、高校の構内の自動販売機で牛乳を飲みながらあの叫び声は彼女のものだよな、とかおもいながらぼーっとつったていると、廊下を彼女の妹がなにか慌てた風にして走りすぎていくのが分かった。あとで聞くとその女性が自殺未遂したということだったんだ。そのあと、一年くらいたって彼女に確認したら手首の静脈を切った、と。

 

で、気を付けなさいといわれた曲線は研究者時代にハタと気が付いて、それで結果的には研究所を辞めたんだが、東海村にある原子力の研究所だったんだ。そのすぐ後に、近くでJCO事故がおきて死人がでたよ。研究所に通勤する途中でよく見ていた会社の建物だった。このことに気が付かなかったら、いまも東海村でフクシマの除染土壌に囲まれて暮らしていたかもだね。

 

あの女性像が気になるね、なにかの霊力がやどっていたのかな?なんであそこに置いてあったのだろう?だれが置いたのだろう?どっからやってきて、どこにいったのだろう?ってね。