この区画にあった原子燃料公社とは、三朝・人形峠のウラン鉱山でウラン採掘をやるようになった会社で、のちの動燃、現在のJAEA(日本原子力開発研究機構)に発展していきます。この区画にあったのは事務所機能と採掘土砂を処理する土砂置き場で、あたりかまわずあちこちを掘っていたらしい。採掘は、山の中だけでなくて倉吉市内のいたるところも行っていたとのことで、雨が降ると大きな水たまりになり、当時の車は簡単にエンコして立ち往生していたらしい。この原子燃料公社の職員住宅は金森町のあたりにあった。