さてさて…
政権のトップに立った道長(みちなが)に対して
当然ながら、中関白家(なかのかんぱくけ)の憤りは、相当なものであったと想像出来ます
正直なところ、中関白家の若き当主である伊周(これちか)は…
『今度こそは私が関白に任命されるであろう』と信じて疑わなかったと同時に、半ば楽観視していたと思われます
何故かと言えば、先の道兼(みちかね)との関白競望の際は、伊周が内大臣であるのに対して、道兼はその上臈(じょうろう)である
右大臣であり、尚且つ官歴においても、叔父が甥を絶えず先行していたこともあり、内心の無念さは兎も角…
道兼が関白になったことについては、ある程度は受け容れることが出来たかと思われます
捲土重来を期していた所、関白就任から僅か十日程で道兼が亡くなり、伊周を始めとする中関白家の面々は
『まさしく、風が我等に向かって吹いて来たぞ』と喜びを隠さなかったと思われます
摂関に就任することが出来るのは、太政官の議政官である藤原北家一門の中で、最高位の者であることは不文律であり
この点において、内大臣であった伊周は、対抗馬と目されていた権大納道長に比べて上臈であり…
加えて、叔父と甥は、同時に権大納言に昇進更に伊周はその叔父を超越して内大臣になったという経緯から考えれば
伊周は道長をライバルとは見なしていなかった可能性が髙かったと思われます
ところは、いざ蓋を開けてみると…
関白ではなかったにせよ、伊周は今回も執政の座を叔父に奪われ、のみならず、関白就任要件を満たしていなかった道長が任命された役職は、つい最近まで自分が父道隆(みちたか)の病間という条件付きで就任していた内覧(ないらん)であったのです
即ち、父が自分に関白を継承させるための足掛かりとすべく、約二十年ぶりに復活させた内覧が
今回は自分の執政の座を阻んだ叔父道長に与えられたのです
此度に限らず、権力掌握のために、中関白家が新たに作り出した先例が、悉く自分達を窮地に陥れる結果を惹起させてしまうのですが、二度目の政治的敗北は、伊周のプライドを著しく傷つけたと思われますね
のみならず、長徳(ちょうとく)元年(995)五月十一日、内覧宣旨(ないらんせんじ)を受けた道長は、六月十九日には右大臣に
昇進、官職でも内大臣伊周の上座に昇り、併せて藤原氏の氏長者(うじのちょうじゃ)宣下を受けたのです
既に道兼生前に、就任していた左近衛大将(さこんえたいしょう)の兼任も元の如しで、この段階で道長は
➀関白に准じる内覧
②太政官トップの右大臣(左大臣は空席)
③武官職最高位の左大将
上記重職三つを兼ねる執政になったのです
これに対して、内大臣に据え置かれたままの伊周は、同年八月に東宮居貞親王(とうぐういやさだしんのう)の教育係であり
東宮傳(とうぐうふ)に任命されたものの、道長の後塵を拝する形であることに変わりはなく、鬱屈した日常を過ごしていたものと思われます
その様な状況の中、政権を発足させたばかりの道長に対して、伊周と弟隆家(たかいえ)は牙を剥いて来たのです
『黒光る君』こと、小野宮実資(おののみやさねすけ)の日記『小右記』(しょうゆうき)には、両者の抗争について、以下の通りに記しています
➀七月二十四日、陣定(じんのさだめ)において、道長と伊周が公卿達の前で、激しく口論を行い、恰も闘乱の如き様子であり、
今にも掴みかかるかの剣幕であった
両者がどの様な理由で、闘乱に等しい言い争いを展開したのか不明ですが、鬱積が溜まりに溜まっていた伊周の方が、先に熱く
なってしまい、売り言葉に買い言葉になったのか道長もかっとなって応酬したのかもしれません
さらに、『小右記』同月二十七日条には…
②道長と隆家の従者達が、七条大路(しちじょうおおじ)で集団乱闘事件を起こした
詳細は不明ですが、➀の陣定時における激論の第二ラウンド的な性質のものであったと思われますが、白昼堂々、洛中大路での
従者同士の乱闘は、さながら合戦の様であったみたいで、仕掛けたのは隆家の従者側であったみたいですね
因みに、隆家は『天下のさがな者』(荒くれ者)と言われる程、気性の激しい公卿であり、それ故に従者達にも、血の気の多くて
喧嘩っ早い輩が多かったとされています
歴史物語『大鏡』(おおかがみ)等でも、花山院(かざんいん)との合戦ゲーム騒動等のエピソードが紹介されているのですが…
件の話が史実ならば、この翌年の長徳の変(ちょうとくのへん)の遠因を、ここに見ることが出来ますね
さらに、この乱闘騒動には続きはあり…
『小右記』八月三日条、
③昨日、隆家の従者が道長の従者を殺害したことに憤った道長は、下手人を引き渡さない限り、隆家の参内停止を要求、中関白家とはミウチ的な間柄である一条帝も、道長の要請を入れて、隆家の参内停止の綸旨(りんじ)を出しています
隆家が下手人を引き渡したどうかは不明ですが、中関白家兄弟の行動は、聊か常軌を逸した所があり、道長も甥達の敵意に
曝されて、心中穏やかならぬ物があったことは言うまでもありませんね
ところが…
騒ぎはこれだけでは終わらず、今度は、道長の震撼させる様な情報がもたらされたのです
続きは次回に致します