今週末の『どうする家康』では…
酒井忠次(さかいただつぐ)と共に、両職(家老)として、主君家康を支えて来た石川数正(いしかわかずまさ)が…
遂に徳川家を出奔する場面が描かれます
史実を変える訳にはいかず、『とうとう来るべき時が来てしまったのか』と思わざるを得ませんが
家臣ナンバー2である数正の徳川家退転は、家康は勿論、家中全体にとっても、一大事件であり、事態の収拾に相当な時間と労力を費やしたと思われます
石川数正は、次席家老として、或いは東三河の旗頭として、徳川家臣団の重鎮でありながら、家康を裏切り、当時敵方であった
豊臣秀吉の許へ奔ったことで…
長く不忠者として、徳川家臣団から白眼視されることになります
数正出奔の前年、小牧・長久手の戦の際は、家康は信長次男信雄(のぶかつ)の要請に応じ
同盟者信長の遺児たる信雄を助け、主家(織田家)簒奪を企む秀吉(羽柴)を討つというスローガンの下、戦線に参加しました
二度の局地戦では勝利を収めた家康・信勝連合軍でしたが、秀吉が攻撃の対象を信雄に絞った結果
本領の伊勢国を侵食されて戦意を喪失した信雄は、家康に事前相談もなく、秀吉との単独講和に応じたのです
表向きは講和であっても、内実は降伏に等しく、この同盟相手の背信により、家康は秀吉と戦う大義名分を失ってしまったのです
前述の通り、かっての同盟者の息子信雄の懇願を受けて、彼を(信長後継者)天下人にするべく、簒奪者秀吉と対決することを、
戦に名目にしている以上、信雄が勝手に秀吉と講和してしまった以上、家康には秀吉と戦う意味がなくなったのです
局地戦で勝ったとはいえ、大局上の(特に政治面での)秀吉の優位は歴然で、家康は秀吉と和睦を結んだのですが、その条件は…
家康が人質を秀吉側に差し出すことであったのです
徳川の家臣達、その多くは、『戦に勝ったのに、何故秀吉に人質を出さなければならないのか』
と激高したと思われますが…
秀吉との交渉を一手に担っていた数正の尽力・説得により、家康は次男(この時点で事実上の長男於義伊<おぎい>)を人質として大坂に送っています
(因みに、人質を誰にするのかについては、聊か紆余曲折があったのですが、これについては後日お話します
)
尚、この時、於義伊と共に、人質として大坂に赴いたのが
①石川数正の次男勝千代(かつちよ)
②本多作左衛門重次(ほんださくざえもんしげつぐ)の子仙千代(せんちよ)
の両人で、何れも家康の重臣の子供でした
一連の交渉を纏めたと思われる、数正は講和条件履行の責任を負うべく、わが子を人質として差し出すことになったのでしょう
こうして、家康と秀吉との和議が成立したのですが、秀吉から見れば、総合的な見地からの勝利であることは疑い様もない訳で、ここからは家康に対して、上洛(上坂)と臣下の礼を取ることを求めて来たのです
当然ながら、数正は徳川家の全権として、秀吉との交渉に当たることになるのですが、数正以外の多くの重臣は…
秀吉との再戦を辞さないという強硬派揃いでした
今まで、何度も秀吉との会見を重ねて来た数正の胸の内には
既に畿内から北陸を平定、旧主家たる織田信雄、更には中国の毛利や越後の上杉をも臣従させる秀吉の勢威に抗する術はない
という結論が出ていたと思われます
更に、秀吉は小牧長久手合戦で、信雄・家康側に味方した反秀吉勢力を、一年足らずで各個撃破してしまっており、この時点で
家康は孤立を余儀なくされていたのです
対抗策として、家康は先の天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)後に同盟を結んだ、小田原北条家との反秀吉共同戦線を張る動きを見せていたのですが…
仮にその同盟が機能したとはいえ、強大な秀吉の軍勢の攻勢を正面から受けるのは、徳川家であり、その勝算は甚だ覚束なかったと思われます
しかも、当の家康本人も、東海五ヶ国を領する大大名となり、先に秀吉との局地戦に勝利したという自尊心があったのか
臣従を訴える数正の決死の進言に耳を傾けようとはしなかったと思われます
加えて、秀吉は朝廷から関白に任ぜられ、尚且つ、五摂家(ごせっけ)と並ぶ豊臣姓(とよとみせい)を賜り、最早天下人たる地位を公式に認められた存在となっており
これ以上、秀吉との敵対関係を続ければ、朝敵として征伐されるというリスクが現実味を帯びていたのです
そういう大局的な観点から、数正は家康に上洛と秀吉への臣従こそが、徳川家が生き延びる唯一の道であると訴えたのですが…
家康や他の家臣達の容れられる所ではなく、寧ろ…
『(人たらしの)秀吉の調略に受けて、裏切り者になり果てたのではないか』
という疑念を懐かれるに至ったのかもしれませんね
天正十三年(1585)十一月、浜松城に重臣達を集めた評定において、家康は秀吉から求められていた再度の人質供出を拒否
これによって、秀吉への臣従を拒む姿勢を明確にしたのです
孤立して面目を失い、尚且つ強硬派から内応者として、粛清される危険に曝されていた数正の取るべき道は…
恐らく、二つあったのではないかと思われます
このお話の続きは次回に致します
本日の大河ドラマでは、数正の出奔はどの様に扱われるのでしょうか
『どうする家康』数正役を演じている、松重豊(まつしげゆたか)さんは
①『今回の出奔のシーンを想定して、一年以上前から家康役の松本潤君とは入念に意見交換を重ねて来た』
とコメントしていました
特に
②『出奔してから、家康のことを述懐する台詞があったけれども、台本以外の言葉をアドリブで発してしまった』
③『その言葉を聞いて、数正が家康に対してどの様な想いを懐いていたのかお分かり懐かれると嬉しいです
』
と意味深長なお話をされていました
果たして、どんな想いに溢れた言葉を発するのか
個人的には大変楽しみにしています