安城歴史博物館に行って来ました! | タケ海舟の歴史事件帳

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いきなりですが…

 

先週末に安城歴史博物館を訪れました合格

 

三河の徳川家康の史跡といえば、岡崎城や大樹寺(だいじゅじ)に代表される、生誕地岡崎が浮かびますが…

 

安城も徳川(松平)家にとって、聖地ともいうべき所だったのです注意

 

松平郷から西へと進出した松平氏は、岩津(いわつ)の本家を中心に多くの分家が誕生したのですが…

 

実は途中で本家の交代があったとされていますグッド!

 

以前は、松平氏初代親氏(ちかうじ)から九代家康まで直系で繋がっているという学説が一般的ですが注意

 

戦国動乱の最中、岩津松平家は隣国今川家との戦いで衰退叫び一門を束ねる力を失ってしまいましたバツレッド

 

そして、岩津家に代わり、本家の地位にのし上がったのが、安城城を拠点とした安城松平家で、家康はその系統に属するという

新説が現在は定着しています腕時計

 

そして、家康の祖父清康(きよやす)が岡崎に進出!ここを拠点として、広忠(ひろただ)⇒家康と続いた訳ですね合格

 

因みに、徳川譜代の家臣団も、主家の拠点変遷によって区分されており、岩津時代に仕えた家臣を岩津譜代(いわつふだい)等と

呼んでいましたNEW

 

そして、安城時代に家臣になった家のことを、安城譜代(あんじょうふだい)と称していて、徳川四天王で有名な酒井家本多家は安城譜代の中核として知られていますFREE

 

因みに、『三河物語』(みかわものがたり)の著者である大久保彦左衛門忠教(おおくぼひこざえもんただたか)の大久保家も、安城譜代の代表格であるのですが、彦左衛門は『三河物語』の中で自らの家のルーツについて目

 

『我が大久保一党は主家が安城におられた頃より仕えていた由緒家であるが、それ以前の岩津時代のことは知らない腕時計

と説明していますNEW

 

このことは、安城松平家と岩津松平家には連続性がないことを示しており、岩津松平家が本拠地を安城に移したのではなくカギ

 

新たに安城に拠点を置いた有力な松平分家が、実力で本家の座を奪取ナイフ取って代わったことの裏付けになると思われますパー

 

そうなれば、安城松平家に仕えた大久保家の彦左衛門が、岩津松平家のことを知らないのは至極当然であり、途中での本家交代の事実は間違いないと言えますねパー

 

さて、例によって、前置きが長過ぎましたが…あせる

 

現在、安城歴史博物館では、安城譜代の特別展示が開催されています腕時計

 

第一弾は、記事添付のチラシ広告の通り、酒井家がフォーカスされています合格

 

酒井氏と言えば、『どうする家康』で大森南朋(おおもりなお)さん演じる、酒井左衛門尉忠次(さかいさえもんのじょうただつぐ)がお馴染みですね合格

 

徳川家中のまとめ役で尚且つ、宴会部長でもある忠次ニコニコその得意芸は『海老掬い』(えびすくい)!

 

劇中では、家康も信長の前で踊る等、徳川家の宴会芸となっていますねOK

 

『エービーすくい、エビすくい!劇中の節回しと踊りも滑稽なのですが、実際忠次がどの様に披露していたのか?

 

残念ながらわかっておりませんしょぼん

 

史実では天正十四年(1586)、家康が関東の雄である北条氏政(ほうじょううじまさ)・氏直(うじなお)父子と、伊豆三島で会見した時、余興として忠次が披露したという話が紹介されていますが、余程忠次はこの海老掬いが十八番(おはこ)だった様ですねパー

 

一説によると、海老掬いは能の演目である狂言の一つとのことですが、ご存知の通り、能は室町時代以来、武家の教養として親しまれていましたNEW

 

戦いに明け暮れる戦国大名達も、正月行事や目出度い宴席等では、頻繁に触れており、単に見物するだけではなく、大名自身が衣装を着て踊ることも少なくありませんでした合格

 

実は、家康も能の愛好家であり、しかも自ら舞うこともあったのですOK

 

勿論正統派の能を演じることもあったのですが、彼が得意としていたのは、何と狂言だったと言われていますにひひ!!

 

『あのむっつりスケベ(失礼)の家康がコメディである狂言を演じるのか?と疑問に思われる方もいらっしゃるのですが…

 

家康は大の狂言好きであり、特に豊臣政権時代には、秀吉や諸大名達との宴会の場で、面白可笑しく演じたとされていますOK

 

場を和ませるためにという目的もあったと思いますが、どの様な演目を披露するのか?相当入念に打ち合わせをして上演したとの話です目

 

こうした家康の意外な一面を窺い知ることが出来るのですが、いつの時代でも接待や『おもてなし』には気を遣うものですね合格

 

なんか、本題とは随分逸脱した話になってしまいましたので…

 

酒井家の展示会を見て来た感想は、次回お話致しますね腕時計