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黒田三銃士(誰の事かはおわかりですね
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有岡城を巡る攻防戦は1年半以上に及んだのですが、事前に荒木村重与力の中川清秀と、高山右近を調略で寝返らせた上で、信長自ら大軍を率いて城攻めの火ぶたを切りました
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事前に村重側に戦力ダウンを強いる事で、かの陣営の士気に打撃を与えようとしたのですが、予想に反して、荒木軍の戦意は尚旺盛でした
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緒戦では力攻めを敢行した織田軍ですが、有岡城の頑強な反撃を喰らい、多くの犠牲者を出してしまいました
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城下全体を郭で囲んだ惣構の防衛体制を敷いた有岡城を落とす事は容易ではなく、信長も持久戦への方針転換を余儀なくされたのです
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有岡城の攻囲軍の指揮を嫡男信忠に任せた信長は、鷹狩等を楽しみながら、その年の末には安土に戻りました
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織田軍は有岡周辺の広範囲にわたる地域一帯に、付城(つけじろ)と呼ばれる砦を数多築き、城方を完全に封じ込める作戦を敢行
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年が明け、天正7年(1579)を迎えたのですが、村重を始め、石山本願寺、播磨国の別所・小寺等、反信長陣営は、毛利の援軍到来を一日千秋の想いで待っていたのですが、専守防衛路線を堅持するばかりの西国の雄が大軍を動かす事はありませんでした
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有岡合戦直前に、本願寺への食糧輸送に向かった毛利水軍が、織田方の九鬼水軍に敗北したというマイナス要因があったのですが、兵糧の補給がままならない親毛利勢力は時間の経過と共に、焦燥と孤立感に苛まれていたのです
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その様な中で、天正7年も半年が過ぎた6月
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総大将自らが、本城である有岡城を捨てて、別の拠点に移るのは、戦略的な転進
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但し村重側から見れば、正当な理由があり、いくら有岡城が堅固な構えを擁していても、援軍も来ず、そのうえ食料が尽きれば、早晩の落城は避けられず、事態打開の為には、何としても毛利の援軍要請を行わなければならなかった
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その場合、配下の武将を城から脱出させ、毛利外交筋との交渉を行えばよい
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かくして、村重は恋女房のだしや子供一族達を有岡城に残したまま、尼崎城に入ったのですが、逃避行に近いこの隠密行動時、彼は愛用していた茶器を肌身離さず持っていたといわれています
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尼崎城に落ち着いた村重は、毛利領に入る方法を模索していたのですが、隣国播磨における友軍である三木・御着までは辿りつけても、そこから西に位置する姫路は小寺職隆を始めとする小寺黒田家臣団が守っており、官兵衛を有岡城に閉じ込めていた経緯からも、そこを突破する事は土台不可能でした
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こうして、空しく時を費やしていた村重とは対照的に、主君に置き去りにされた有岡城兵は粘り強く籠城戦を続行していたのですが、内密にしていた村重離脱が織田陣営に漏れてしまったのです
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織田軍は攻囲軍を二つに分ける事を即決
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一益は動揺が見える有岡城内に対して、内応を呼びかけた調略を仕掛けた所、惣構えの一角である有力な砦を守る荒木軍の将が誘いに応じ、内側から織田勢を引き入れたのです
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万全な防備を誇っていた有岡城に生じた蟻の一穴を、織田軍団歴戦の将である滝川一益は見逃さず、織田軍は内応者が開いた誘導路から城郭内に侵入を開始しました
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有岡城は外側からの攻撃には、二重三重の防御策を講じていたのですが、内部に敵の侵入許した場合の対策には工夫が乏しかった為、数日のうちに二の丸まで占拠され、荒木勢の拠る所は本丸を残すのみとなったのです
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ここに至って、村重脱出後の留守を預かっていた荒木久左衛門は抗戦を断念
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この一連の状況に連動して、黒田家中の栗山善助・井上九郎右衛門・母里太兵衛は、隠密に有岡城内の探索を行い、主人官兵衛が城内土牢に閉じ込められている事を突き止めていました
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土牢の番人(官兵衛の監視役)であった荒木家臣の加藤又左衛門重徳(かとうまたざえもんしげのり)の温情もあり、栗山は牢越しに官兵衛と言葉を交わす機会も与えられていたみたいで、近日うちの有岡総攻撃に向け、主人を救出する準備を整える一方で、日に日に衰弱していくばかりの官兵衛を懸命に励ましていたのです
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そして、有岡城の守りの綻びに乗じた織田軍の総攻撃により、城は遂に開城
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しかし、有岡城は陥落したとはいえ、荒木村重は尼崎城で尚も抵抗を続けており、荒木征伐は未だ決着には程遠い状態でした
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有岡の城ひとつを落とすだけでも、1年以上の時間を要してしまった事に苛立ちを募らせていた信長は…
大方の予想に反して、ここで思い切った懐柔策に出たのです
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続きは次回に致します(^∇^)
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