戦国乱世の掟(人質の宿命) | タケ海舟の歴史事件帳

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自称歴メンことタケ海舟が、歴史上の事件を独自の視点と勝手な思い込みで取り上げ、真相に迫ります。
大河ドラマを中心に歴史に関する話題をお届けします。

さて…


『軍師官兵衛』第2回目の放送を視て、気が付いた事がありましたので、お話させて頂きますグッド!


放送冒頭、主家小寺政職の近習として御着城に出仕する事になった官兵衛に、父職隆が心構えを説く場面がありましたグッド!


家老職に列し、小寺姓を賜り、更に西方の敵対勢力である龍野(たつの)赤松氏の侵攻を防ぐ姫路城を任せられていた黒田家ですが、小寺家中においては、所詮外様的な存在に過ぎませんでしたグッド!


黒田家は官兵衛の祖父重隆の頃より、小寺氏との関係を有したとされているのですが、実はそれ以前の一時期、同家と敵対していた龍野赤松家に仕えていましたNEW


黒田家が何時、赤松家から小寺家へと主君を変えたのかはてなマークその事情は詳らかではありませんが、武士に似合わぬ合理的な考えを有していたとされる、重隆の判断に依る所が大きかったと推測できますパー


重隆・職隆二代で、小寺家中での黒田家の存在は、次第に重みを増していったのですが、反面、古くから小寺家に仕えていた家臣達の嫉みや反感に晒されていた事は、論を俟たないと思います叫び


そうした中、跡取りの官兵衛を御着城の主君の側で奉公させる事は、端的に表現するならば、人質という意味合いが強かった訳で、これも戦国の習いとでもいうべきでしょうガーン


第2回放送では、政略結婚で他家に嫁ぐ女性も、同盟遵守の為の人質である!!という極めてシビアな話がなされていましたショック!


①官兵衛の亡母岩(いわ)も小寺家と黒田家との関係強化という意図で、明石家より職隆の正室となりパー


②劇中で彼の初恋の女性という設定で登場していたおたつも、黒田家と浦上家との同盟強化の為、黒田家の養女として、室津(むろつ)浦上家の嫡男清宗(きよむね)の許に輿入れしました目


何れも人質的な色彩の強い結婚だったのですが、重臣の嫡男を主君の手元に差し出す事も…


『絶対にあなた様を裏切りませんビックリマークという意思表示であり、若し、敵方に寝返った場合…


人質は間違いなく処刑される(それも見せしめの意味を込め、極めて残酷な方法で)のが定めでしたドクロ


主君小寺政職の殊遇を受けていたとはいえ、御着城での官兵衛の立場は、決して安泰なものでは無かった訳で、それ故父職隆は息子に対して、思慮分別のある堅実な出処進退を求めたと思われますグッド!


因みに10年余り後、官兵衛自身も掌中の珠であった松寿丸(しょうじゅまる)織田信長への臣従の証として、安土に差し出したのですが、この時松寿丸即ち黒田長政は、僅か9歳に過ぎませんでしたヒミツ


因みに官兵衛が御着城に出仕したのは、16歳の時であり、息子はその折の父親の年齢を、漸く半ば程越えたばかりでした注意


安土(松寿丸は信長の計らいで、羽柴秀吉の居城近江長浜に預けられますがNEW)へ赴くわが子と官兵衛は、果たしてどんな言葉を交わしたのでしょうか!?


とても気になりますグッド!


さて劇中で、職隆が官兵衛に訓戒した内容はビックリマーク


①すぐに物事の判断を下さずに、じっくり思慮分別して考える事注意


②出過ぎた振る舞いの無い様、慎重な出処進退を心がける事注意


(『出る杭は打たれるNGの譬えがありますね禁止


の二点でしたOK


何れも現在に通じる内容なのですが、次回は前者①について、お話をしてみたいと思います(*^▽^*)



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