官兵衛講演会!! | タケ海舟の歴史事件帳

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自称歴メンことタケ海舟が、歴史上の事件を独自の視点と勝手な思い込みで取り上げ、真相に迫ります。
大河ドラマを中心に歴史に関する話題をお届けします。

新しい年が始まって、もう3日目が終わろうとしていますビックリマーク


今回の年末年始休みでは、あと2日に迫った大河ドラマ『軍師官兵衛』関連の本を読んでいますビックリマーク


実は私、タケ海舟は年明けの1月10日に、ある金融機関の新年会で、官兵衛について30分ばかりのお話をする事になっていて、目下書籍を読み漁りつつ、勉強中でありますニコニコ


3年前の『江~姫たちの戦国~』で、好きな歴史の講演をさせて頂く様になり、以来、『平清盛』・昨年の『八重の桜』等、主として大河ドラマを題材にお話をしているのですが、いよいよ今年の『軍師官兵衛』シーズンも、来週よりスタートを切る訳ですグッド!


『官兵衛の人物と魅力に迫る』という演題で話すのですが、30分という大変制約された時間内での喋りなので、今風の『選択と集中』方式で講演を進めなければならない!!と腹を括っている次第であります目


官兵衛といって、連想されるのは…


①やはり豊臣秀吉に天下を取らせた、智謀泉の如くの大軍師である!!


②官兵衛自身も天下人になる野心を有していた!!


の2点が圧倒的に多いと言えるのですが…


『後世に捏造された間違ったイメージが、一人歩きをしており、必ずしも彼の実像を、必ずしも正確に写した物では無いNEW


と研究者の渡辺大門(わたなべだいもん)先生は、その著書で述べられていますヒミツ


官兵衛は常時、秀吉の帷幕で作戦を立てていた訳ではなく、敵方の切り崩し工作や、和平・降伏交渉という、頭脳派としての活躍を、その本分としていました注意


同じ様な役割を果たした人物として、官兵衛が豊臣政権において、主担当となっていた毛利家の外交僧である安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が連携されますOK


また、天下を望んでいたとしても、九州征伐の戦功で、豊前六郡(12万石)しか与えられなかった彼に、天下取りに必要不可欠な軍事動員力や経済力等、到底備わっていなかった事は明らかで…


『官兵衛なら天下を取った筈だ!!』若しくは、『天下を取って欲しかった!!


という願望が、等身大上の官兵衛像を作り上げてしまい、誤解を呼んでいるのかもしれませんガーン


しかし、そうした実力以上の人物として見られてしまうのは、それだけ官兵衛自身に大変魅力があったという事の裏返しでもあり、一言ではなかなか言い表せない、奥深い器量の持ち主であったのは、論を俟たないと思われますグッド!


30分では、ほんの触り程度のお話しか出来ないと予想されますが、2月には同じテーマで90分講演が待ち構えておりますので、しっかり二つの場を有意義な物にするべく、頑張りたい!!と決意を新たにしていますニコニコ


本日はここまでにします(^∇^)



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