1月1日ありがとうを年齢✖️1万回を言うことを達成した。

 

今回は、洋人の誕生の場面が浮かんできた。

出産の場面や妊娠中で苦労していた妻の姿も、忘れていた記憶が湧いてきた。

 

胸が熱くなり感謝の気持ちが自然と出てきて、涙が溢れる。

「新たな命にありがとう」。

 

これまでの「ありがとうのワーク」で自分史の記憶がよみがえり、最後はそういうことだったのかと腑に落ちた。

 

自分に関わる全ての命の繋がりに感謝を忘れないこと。

そんなメッセージだったとおもう。

 

年齢✖️1万回で何かすごいことが起きたとは感じてない。

いや、気づいてないだけだろうか。

 

忘れてはいけないことを思い出すことで何が大切かわかった気がする。

それこそが素晴らしいギフトだと感じる。

 

泣くことで毎回とてもスッキリになった。

たいへんだったけどやってよかったとおもう。

 

本当に不思議な経験だった。毎回涙。

その後2万5千回言っても何も起きないみたいだ。

記憶の浄化なら腑に落ちる。

まだ、未来なのだから。

きっと素晴らしい未来に乾杯したい。

 

応援してくれた家族に感謝したい。

ありがとうございます。

今週末で、50万回のありがとうを言うところまできた。

あと少しで年齢✖️1万回を達成出来るところである。

絶対無理とおもっていたが現実味が出てきた。

 

さて、「ありがとうを2万5千回言うこと」は、結構な仕事である。

1日掛りであり、最低5時間は言うことになるので、それが失敗するとダメージが大きい。

実際、何回か失敗している。

 

失敗の最大原因は、ネガティブ思考である。

 

愚痴、悪口、妬み、嘆き、弱音、怒りなどなど、取り消せばいいのだが、常に冷静に自分をみていないといけない。

 

穏やかな状態でいることになる。

 

冷静にいる。俯瞰する。

 

その訓練になるとおもう。

自分には一番必要なことだとおもう。

 

自分では分からないが、妻からは、ずいぶん穏やかになったと言われる。

 

まだ、まだ、続ける。

納得するまで、100万回、200万回でも俯瞰し、穏やかに、自分の機嫌がとれるまで。

教えを乞いながらプレゼンを作り上げた。

 

8月になり中国、四国9県の地区予選が岡山県で開催された。

 

職場の皆んなの後押しもあって作ることができたプレゼンであり、最善を尽くしたおもいもあって、落ち着いて発表ができた。

 

地元開催の岡山県は発表に力を入れているのがわかったし、内容も素晴らしかったのでこれが本命だなあと感じた。

 

しかし、それでも自分の発表は役に立つものと信じていたこともあり、もしかしたらというおもいがあった。

 

審査発表があり、見事自分の県が代表に選ばれた。

嬉しい。

「やったー」と隣にいた上司と握手をした。

 

予選後、後会があり参加した。

様々な県から祝福を受け、その中には本命の岡山県からも「素晴らしい発表でした。選ばれて当然、全国でもいい成績を獲ってください。」とエールをもらった。

 

次もやるぞとのおもいを胸に凱旋するのであった。

通例は、順番の当たっている事務所の中で他の職員が代わって発表者となるが、事務所の順番を代わるという思いがけないチャンスがめぐってきた。

 

それは、恵方参りの効果かもしれないし、神様の計らいかもしれない。

 

さて、世の中に伝えたかったので、全力を尽くしてプレゼンの準備を始めた。

来る日も来る日もプレゼンの資料作成、通常業務をこなしながらなので忙しかったはずだが、そういう感覚はなかった。

 

プレゼンの練習を職場の人に忙しい中何度も付き合ってもらった。

良いプレゼンの見せ方、言葉遣い、文字の大きさ、字数など若い同僚からも意見をもらった。

真剣に耳を傾けた。

 

以前ならプライドもあり若い人の意見はあまり聞かなかったろうに。

むしろ「ここは、どうしたら良くなる?この表現で理解出来る?」など積極的に意見を乞う姿勢になっていた。

 

得意なことや才能、能力、経験さえも歳は関係ない。

わからないことは素直に頭を下げる。

 

そんな自分に変わっていた。

年度が2回変わった。2015年になっていた。

もちろん昇進はない。

肩書きもないただのヒラのままだ。

 

しかし、少しずつ変化してきた。

今までとは違う、緩やかだけど上昇している。

周りの人が変わっていった信頼出来る上司、同僚に囲まれつつあった。

 

毎年、全国の普及員が県の代表として業務成果を発表する大会があり、うちの県では発表者は事務所で持ち回りになっていた。

自分の所属する事務所は、来年度が発表にあったていた。

「この成果を全国に伝えたい、きっと世の中の役に立つ」と内心おもっていて発表したかったが、順番なので仕方ないなとおもっていた。

 

ところがである。

 

その年度に当たっていた事務所の普及員が発表出来なくなり、自分の事務所に順番が回って来ることになった。

もちろん二つ返事で自分がすると手を挙げた。

 

これが後の大成功の序章になるのである。