不当な表示と訳者の公開がされるその日が来るのは早い………のかもしれませんね!なんか今ちょっと、あ、無理かもって思っちゃったけどそんなことない!気を取り直しましょう。
その前にまず今回の本がコラボかどうかについての再確認です。コナミで電話で問い合わせをしてみました。
「講談社とのコラボレーションはしている。ただし、コラボレーションした本がゲーム内の文章であるとは案内していない」
という返答を頂きました。ちゃんと2度確認しましたので大丈夫です。念のため録音しておきましたので、間違えてるとか言われたらその時はそっと差し出すこともできます。
なかなかに凄い回答が返ってきましたもんです。カイジAAが浮かんだあなたは正解です。
これは検証とは別方向で各機関に相談した方がいいような気がしてきました。
まあこの問題はまた別の所で取り扱うとして、前置き終了。「赤毛のアン」2回目の検証スタート致します。
まずは読んだところの確認からスタート
高嶺:マシュウがアンを迎えに行って、二人が馬車でグリンゲイブルズに着いたところ。
高嶺:アンって、可愛い。それにすごい想像力。この後、可哀想なことにならなければいいけど……。
章で言うと二章終了までです。ページ数は掛川訳P.50、新潮村岡訳P.44、青い鳥村岡訳P.36ですね。
あれ?愛花さんたしか昨日…「アンがマリラに…」って言ってたから三章終わりまで読みましたよね!?
……うん、巻き戻ってるけど気を取り直しましょう。
まず検証するワードは「マシュウ」「グリンゲイブルズ」です。対応する文を引用していきましょう。
※攻略Wikiの検証ページで知りましたが、マシュウについてはゲーム内テキストでは揺れがあるそうです。当ブログではそのたびに引用検証していきます。
両方の単語が一文になっているものがありましたので、そこを引用してみましょう。
"マシュー・カスバートも、少し先のグリーン・ゲーブルズのそばを流れる小川ぞいの赤土の広い畑で、種まきをしているはずだった。"(掛川訳P.13より引用)
"マシュウ・クスバートは『緑の切妻屋根』(グリン・ゲイブルス)の向こうの、広い赤土の畑の蕪はまいてしまったらしかった。"(新潮村岡訳P.7より引用)
"マシュウ・クスバートは、「グリン・ゲイブルス(緑の切り妻屋根)」の家のむこうの広い畑のかぶをまいてしまったようです。"(青い鳥村岡訳P.7より引用)
掛川訳は「~しているはずだった」現在進行形の推定ですが、村岡訳は「しまったらしかった」という完了推定なんですね。この辺の微妙な時間の表現を考えるのも、翻訳文学の対比研究の面白さなのでしょうか。
さて、愛花は「マシュウ」とはいっていますがカスバートなのかクスバートなのかについてまでは言及していません。今回の「マシュウ」については村岡訳は両方とも一致しており、掛川訳は一致していません。
次に「グリンゲイブル ズ 」については確認をしましたがズ(ZU)です。掛川訳、村岡訳、どちらも一致していません。攻略Wikiの情報も現在のところ一致しているものは見つかっていないようです。見つかり次第追記をしていきます。
ではようやくですが、読書開始です。
独り言は今回は二か所。
高嶺:雪の女王……?
雪の女王とは4章に登場する桜の木のことです。アンの台詞は非常に長いので適当に前後を省略します。全部引用してたら終わらない自信があります。
「(略)わたしが寝た部屋の窓の外にあるサクラの木にも、今朝名前をつけたの。<雪の女王>って。あんなに真っ白なんですもの。そりゃ、いつも花が咲いているわけじゃないけど、咲いているって想像はできるでしょ」(掛川訳P.72より引用)
「(略)けさは、寝部屋(ねべや)の窓の外にある桜の木にも名前をつけたのよ。雪の女王というのにしたの。真っ白なんですもの。もちろん、いつもあんなに花をつけてるわけじゃないけれど、でも咲いていると想像できるでしょう?」(新潮村岡訳P.65より引用)
「(略)あたし、二階の部屋の窓の外の、桜の木にも名前をつけたのよ。『雪の女王』というの。真っ白なんですもの。もちろん、いつも花をつけているわけじゃないけれど、でえも、咲いていると想像できるでしょう。」(青い鳥村岡訳P.56より引用)
ということで全後に記号の有無、違いこそあれど「雪の女王」は掛川訳、村岡訳(新潮・青い鳥)ともに一致しました。
高嶺:ダイアナ……素敵な名前!
「ダイアナ」のワードについては特に問題がないので省略します。彼女のファミリーネームについてはまた別の機会に触れるはずなので。
今回は2回途中経過を聞くことに成功しました。
高嶺:マリラがアンを連れて、ホワイトサンズに出かけようとするところ。アンを返そうとして……。
高嶺:あんなに居たがってるのに、可哀想……。でも、コーデリアって――自分にまで素敵な名前付けちゃうんだもん!
5章の冒頭を指しているようですね。ここでの検証用ワードは「ホワイトサンズ」です。ではそれぞれ引用をしてみます。引用元は5章の冒頭部分からです。
「(略)ホワイトサンズっていうのも、すてきな名前ね。でも、アボンリーのほうが好きだわ。アボンリー――本当にすてきな名前。まるで音楽みたい。ホワイトサンズまでは、どのくらいあるの?」(掛川訳P.75-76より引用)
「(略)それにホワイト・サンドもきれいな名だけれど、でもアヴォンリーほどじゃないわ。アヴォンリーはたまらなく、いい名前ですもの、音楽みたいな響きがするわ。ホワイト・サンドまでどのくらいあるの?」(新潮村岡訳P.69より引用)
「(略)それにホワイトサンドもきれいな名だけれど、でもアヴォンリーほどじゃないわ。アヴォンリーはたまらなくいい名前ですもの。音楽みたいな響きがするわ。」(青い鳥村岡訳P.59より引用)
今回の「ホワイトサンズ」については掛川訳のみが一致しました。
高嶺:アンがマリラに身の上話をして、結局、グリンゲイブルズに住めることになったところ!
高嶺:本当によかった……。"二人とも私によくしてくれたかったには違いないと思う"っていうところ、ちょっと涙が出ちゃった。
6章が終了したところまでですね。今回は検証するには少々心もとないですが引用文のような記号もありますので"二人とも私によくしてくれたかったには違いないと思う"の部分を引用してみましょう。
「(略)おばさんたちにも頭を悩ますことがいっぱいあったんですもの。酔っぱらいのだんなさんを抱えているのって、つらいものだし、三回つづけて双子を産むのだって、大変でしょ?やさしくしてくれる気はあったんだって思うわ」(掛川訳P.81より引用)
「(略)ほら、二人とも苦労がたくさんあったでしょう?酒のみの夫をもっているって、とても骨が折れるものだし、つづけて三組もふたごができたらたいへんでしょうしね。でも、二人ともあたしによくしてくれたかったにはちがいないと思うの」(新潮村岡訳P.74-75より引用)
「(略)ほら、二人ともたくさん苦労があったでしょう。酒のみの夫をもっていたり、つづけて三組(みくみ)もふたごができたりね。でも、二人とも、あたしによくしたかったのにはちがいないと思うの。」(青い鳥村岡訳P.63より引用)
まったく同じ文はないので引用文ではないかもしれません。なので表現が一致しているものを考えてみましょう。ここでは「よくしてくれたかった」という部分です。「やさしくしてくれる」と「よくしてくれたかった」はたしかによく似ていますが厳密に考えていくと表現の幅に違いがあると思います。
「やさしくしてくれる」は相手へ優しく、愛情を持って接するという意味を持ちます。それに対して「よくしてくれる」は愛情だけに限らず、待遇面での良さも含むことができる、やや幅の広い表現と解釈することができます。よって二つの訳は別の解釈が可能のため区別することが可能です。
更に「よくしてくれたかった」(新潮村岡訳)「よくしたかった」(青い鳥村岡訳)もまた違います。してあげる、という与える姿勢としたい、という自発の姿勢の違いですね。これについても区別が可能だと考えます。
よって、"二人とも私によくしてくれたかったには違いないと思う"については新潮村岡訳の表現が一致する。という結果になりました。
お、おおう…10章しかない。しかもこっから5章ずつとんでいくわけですか。30分で完訳版を5章ずつというのは相当な速読じゃないと難しい気がしますね。この点からも抄訳の青い鳥文庫が浮上したわけですけど、さてどうなるやら。ここでは10章まで、と選択しました。
高嶺:ゴメン、じゃあ、わたし遅れちゃったかも……。
ですよねー。愛花はどこまでいったのでしょうか?
高嶺:アンが寝る前に独創的なお祈りをして、それからダイアナの噂を聞いて、想像が止まらなくなっちゃったところ。
高嶺:ダイアナにも早く会いたいけど、ケティ・モーリスとヴィオレッタにも会ってみたかったな。
8章終了のところまでですね。検証するワードは「ケティ・モーリス」と「ヴィオレッタ」ですね。それにしても「会ってみたかったな」って愛花さん…彼女たちが空想上の子ってわかってます…よ…ね?ちょっと突っ込みを入れたかったのに選択肢は出てきませんでした。残念。
さて、検証はアンの台詞が長いので一部引用です。
「(略)わたし、あれは、バイオレッタという名前の女の子だっていうことにしたの。バイオレッタとは大の仲よしになって、ケイティー・モーリスとおんなじくらい好きになったわ――まったく同じ、というわけじゃなかったけど。」(掛川訳P.110より引用)
「(略)それであたし、それがヴィオレッタという小さな女の子だということにして、とても仲よしになったの。その子をあたし、ケティ・モーリスとおなじくらい、愛したわ――ケティとおなじには愛せなかったけれど、それに近いくらいによ。」(新潮村岡訳P.103より引用)
「(略)あたしがハモンドのおばさんのところへ行くことになったとき、ケティ・モーリスをおいていくのが、胸がはりさけるほどつらかったの。ケティもひどく悲しんでいたってこと、あたしちゃんと知ってるわ。(中略)それであたし、それがヴィオレッタという小さな女の子だということにして、とても仲よしになったの。」(青い鳥村岡訳P.85より引用)
新潮村岡訳と青い鳥村岡訳では完訳と抄訳の違いもあって、訳が省略されている部分がありますね。
ともあれ「ケティ・モーリス」と「ヴィオレッタ」については村岡訳(新潮・青い鳥)が一致しました。
さて、感想タイム。前の進度報告タイムの時はネタバレを避けてくれますが、この感想タイムではぺろっとネタバレをするそうです。こういうところの雑さが本当にもう。せめてコラボパートだけは、と思ったのにこの雑さですから。
高嶺:ハァ……面白かった。アンみたいな子が本当にいたら、絶対"腹心の友"になるんだけどな……。
高嶺:子供たちとキリストの絵のお話、あったでしょ?
加藤:ああ、一人だけ輪に入っていけない子がっていう?
高嶺:うん……わたしもね、あの女の子の気持ち、すごくよくわかる。
1:えっ!?まさかキリストに会ったの!?
2:高嶺ってクリスチャンなんだっけ?
3:今も高嶺も、輪の中の子の方だろ?
高嶺:うん……あなたと一緒に。
最後は惚気でしたが、それにしたって主人公の選択肢がアホすぎるだろう。芸人かお前は。当然ここでは3を選んでいます。
さて、ここでの検証は「腹心の友」と子供たちとキリストの絵のお話のくだりで出てきた「あの女の子」についでです。まずは「腹心の友」を引用してみましょう。
「マリラ、」アンがまた呼んだ。「わたしにアンボリーで、<宿命(さだめ)の友>ができるかしら?」(掛川訳P.107より引用)
「マリラ、近いうちにアヴォンリーであたしに腹心(ふくしん)の友ができると思って?」(新潮村岡訳P.101より引用)
「マリラ、近いうちにアヴォンリーで、あたしに腹心の友(ふくしんのとも)ができると思って?」(青い鳥村岡訳P.83より引用)
「腹心の友」については村岡訳(新潮・青い鳥)が一致しました。
「宿命の友」と「腹心の友」ではずいぶんと印象が違うので、だいたいここで「?」となったんじゃないかなと思います。
宿命:あらかじめ運命付けられたという意味
腹心:どんなことでも打ち明けらられ、相談できるという意味
こうしてみると随分と意味合いが違ってきます。「宿命の友」は運命的なめぐり合わせ、神の思し召しなどが作用するある意味受け身的なものになります。「腹心の友」は心からその悩みや思いを分け合う、というこれから構築していく人間関係をも含んだ意味になり、こちらは自発的な意味になります。
アンは運命を求めるのか、人間関係の開拓を求めるのかで大きく印象が異なってきますので、「たかが訳が少し違うだけで」とは私は思えません。
では、次に子どもとキリストの絵についてのくだりで出てきた「あの女の子」についても見てみましょう。細かいなあと思われるかもしれませんが、実はこの表現は掛川訳を読んでいると「え?」となってしまう表現です。
「このなかのひとりがわたしだって、想像していたとこなの――ほら、あの、仲間に入れてもらえないで、ひとりだけ隅のほうに離れて立っている、青い服を着ている子。独りぼっちで、寂しそうでしょ?きっと、お父さんもお母さんもいないんだわ。(略)」(掛川訳P.105より引用)
「そしてあたしもあの中の一人だと想像していたの。あの青い服を着て、lまるであたしのようにだれも身内がないみたいに、たった一人すみっこに立ってる女の子が、あたしだって想像していたの。あの子はさびしさそうで悲しそうに見えるでしょう?きっとお父さんもお母さんもないんだと思うわ。(略)」(新潮村岡訳P.98より引用)
「あたしもあの中の一人だと想像していたの。あの青い服を着て、たった一人ですみっこに立ってるあの子が、あたしだと考えたの。あの子はさびしそうでしょう?きっとおとうさんもおかあさんもないんだわ。(略)」(青い鳥村岡訳P.81より引用)
掛川訳を読んだ上で話をしていると、「青い服を着ている子」が女の子だったとはわからないわけです。アンがその人物に自分を重ねたのは独りぼっちで寂しそうだったから、という認識なわけですから、男女の部分まではこちらがわ(読者)は想像していないわけです。女の子だとわかる描写もないため「?」となってしまっても仕方ないでしょう。「女の子」と断言できる情報があるのはこの3冊の中では村岡訳です。
よって「あの女の子」については村岡訳(新潮)が一致しました。
ふう、これにて2回目の検証は終了です。なかなかに骨が折れますね。





