全国のWEPファンのみなさん、こんばんは。
後編はビンテージWEP中心に話を進めます。
ところで、ビンテージのフライトジャケットがどうしようもなく好きな人って、日本に何人くらいいるんでしょうね。
お金もかかるし場所も取る趣味ですが、100人くらいはいるのかな?
私がビンテージWEPを初めて買ったのは1996年頃だったと記憶してます。
普通の袖のB型で、リブはボロボロ、左袖には大きな切り傷がありました。
コットンのライニングのダメージもありました。
これらはWEPの典型的なウィークポイントですね。
価格は3万円位だったでしょうか。
WEPは1990年代の古着ブームのときもそんなに高価ではなかったですね。
あまり人気も無く、ダメージのある個体が多かったのです。
それでもなぜこのWEPを買ったかというと、他のフライトジャケットにはない個性的なデザインと、ライムグリーンの美しいナイロン生地に惹かれたからでありました。
WEPの着丈の短さは、サイズが合うと足が長く見えてとてもカッコよく、お気に入りでした。
さて、WEPジャケットの解説です。
1950年代は航空技術が急速な発展し、搭乗員の個人装具(ヘルメット、飛行服、Gスーツ、トルソーハーネス等)も大きく姿を変えた時代でした。
WEP(MIL-S-18342)はレシプロ機の時代から使用された中間域用のG-1ジャケットや冬季用の55J13+55T18、並びに55S37スーツを一新するものとして開発されました。
WEPはMIL-S-5390のような普通のフライトスーツの上に着用する冬季用フライトスーツですが、55J13+55T18と同様に、ジャケットとトラウザーズに分割することができます。
つまりWEPジャケットとはWEPスーツのジャケット部分を言います。
表地、裏地、中綿、ジッパーにいたるまで、全体的に「低コスト感」が漂うフライトジャケットであり、空軍の同時期のものとは、だいぶ違った印象を受けます。
開発時にコスト低減の要求があったのかもしれません。
「G-1の支給を続けたいんだったら、WEPの単価をいくら以下にしろ」みたいな……?
1960年代には耐水服も進歩し、冬季はWEPの代わりに着用するようになってきたため、1960年代の後期には飛行服としては使われなくなってきて、G-1ジャケットのような位置付けになってきます。
WEPトラウザーズは、着用する必要がなくなった1960年代半ば以降は製造すらされていません。
WEPの製造期間は、1955年から1975年と、20年もの長期にわたりましたので、タイプにこだわりがなければ、現在でも見つけるのは容易です。
WEPにはMIL-S-18342の無印からC型まで4種のサブタイプがあります。
ただし無印とA型の明確な違いはわかりません。
もしかしたら同型かもしれません。
A型は比較的レアです。
それぞれの特徴としては、
・A型とB型の袖には二箇所のまちがついている
・C型はV型の袖ニットを持つ
・ジッパーはA/B型はアルミ製、C型は真鍮製
・表生地の色は、A型はカーキ色、B型はライムグリーン、C型は濃いめのオリーブグリーン
各メーカーがレプリカを出す時は、大抵このC型ですが、他には見られない特徴的な色のA型とB型も私は好きです。
WEPには宇宙飛行士訓練用の全身ホワイトなモノもあるとか。私は見たことありませんが。
なお、WEPはショート、レギュラー、ロングの三種類の着丈があります。
襟からポケット下端までの長さはほぼ同一であり、胸ポケット下端から裾までの長さを変えているようです。
↓カーキ色のA型(ロング)
↓こちらはライムグリーンのB型(レギュラー)
↓オリーブグリーンのC型(ショート)
WEPの後継はCWU-45/Pですが、メインジッパーから風が入って来ないようにする構造、大型のバッチポケット、後付け可能なフードとか、結構、WEPの遺伝子を受け継いだように思えますね。
それなりによくできたフライトジャケットだったんでしょう。
このジャケットはパッチでデコレーションしてなんぼですね。
プレーンだととても寂しいので、どうせ買うなら、できるだけパッチが付いているものがいいです。
パッチやネームタグが付いてると、そのジャケットの経歴が気になりますよね。
それでは、私の2着のコレクションについて、ジャケットの納入時期やパッチなどから、どのような経歴をたどったのか、想像(妄想)を膨らませてみましょう。
⚫️1着目
・1969年度契約のランド社製C型
・ネームタグは無し(外した形跡あり)
・部隊パッチはVA95
・右腕にウィドビー海軍航空基地「ブルズアイクラブ」のパッチと、その上部に的に矢が刺さった小さなパッチ
・左腕にA-6攻撃機のパッチ
・右胸に第17空母航空団(CVW17@空母ニミッツ)のパッチ
・背中上部に第15空母航空団(CVW15@空母コーラルシー)のパッチ
・背中下部に空母フォレスタルのパッチ
……VA95(グリーンリザーズ)の源流は1943年に設立されたVT20という部隊でして、TBM/TBFアベンジャーを配備し、雷撃を任務としていました。
レイテ海戦では戦艦武蔵や囮部隊の4空母への雷撃を行っています。
有名な空母瑞鳳の空撮写真はVT20所属機が撮影したものらしいですね。
瑞鳳の空撮写真。「づほ」の文字と迷彩塗装が印象的
このジャケットの契約時期である1969年から10年間のVA95の活動は、
・1969年4月〜同年12月: CVW1@空母ジョンFケネディ
・1973年3月〜同年11月: CVW15@空母コーラルシー
・1974年12月〜1975年7月: CVW15@空母コーラルシー
・1977年2月〜同年10月: CVW15@ 空母コーラルシー
・1979年3月〜同年9月: CVW11@空母アメリカ
VA95がニミッツとフォレスタルにいたことはないです。以前の部隊のときに乗ってたんでしょうね。
「ブルズアイ」は業界用語で標的、目標、目標位置、命中とかの意味です。
ウィドビー島はワシントン州シアトルの近くにある島で、海軍航空基地があります。その辺りでやってた訓練か演習で、目標に爆弾か何かを当てたんでしょうかね。
持ち主がこのフライトジャケットを着用していた時期は1973年〜1977年頃と推定しますが、この頃、VA95の母艦のコーラルシーは、ベトナム戦争に参加していました。
使用機はA-6A/BまたはKA-6Dです。
このジャケットの持ち主も実戦に参加した可能性が高いと思われます。
VA95のKA-6Dと空母コーラルシー。VA95は緑のトカゲと三又の槍がトレードマーク。よく見るとコクピットのすぐ後ろにトカゲの絵がある。
G-1ジャケットもそうですが、1970年代以降のWEPジャケットは、パイロットの身分と経歴をアピールできる防寒ジャンパーとしての役割しかなく、実質飛行服ではなくなっています。
米海軍はどのパッチをどこに取り付けようが、割とフリーダムで、経歴を調べているとわからないことや矛盾を感じることも多々あります。
空白部分は妄想で埋めるしかないですね。
⚫️2着目
・1974年度契約のアルファ社製C型
・ネームタグにVF92、LT CURT DOSEの名
・部隊パッチはVF92
・右肩に空母エンタープライズのパッチ
・ネームタグ上部にトンキン湾ヨットクラブのパッチ
・左肩に東南アジア戦役(ベトナム戦争)参加記念のパッチ
……VF92(シルバーキングズ)は、1952年に創立した部隊です。配備機種はF4U-4で、翌年には朝鮮戦争に参加してます。
1965〜1969年の間は、空母エンタープライズを母艦とし、F-4Bを使用してベトナム戦争に参加しました。1970年は空母アメリカ、1971年からは空母コンステレーションを母艦とし、F-4Jを使用してベトナム戦争に継続して参加しています。
その後、1975年12月12日に解隊されています。
VF92の部隊マーク。蛇が右向きと左向きがあるのはなぜ?
まず、着用者である「CURT DOSE」を調べてみましょう。
すぐにヒットしました。
Curtis R. Dose
軍籍期間: 1963年7月〜1979年3月
最終階級: 中佐
総飛行時間: 7,700時間(戦闘機は1,200時間)
経歴:
・ジェット練習機での訓練 1968年〜1969年
・VF92 空母アメリカ@ベトナム 1970年9月〜12月
・新設間もない「Naval Fighter Weapons School(いわゆるトップガン)」を卒業。
・VF92 空母コンステレーション@ベトナム 1971年8月〜1972年7月
・1972年に海軍テストパイロットスクールをトップで卒業
・1972年から1976年の間、テストパイロットとして戦闘機の空母適合性試験に従事(機種はF-8及びF-14)
優秀な方ですね。
ちなみに、1972年5月10日、MiG-21を撃墜してます!
ミグキラーですね。凄い……
VF92所属 F-4J カートさん搭乗機
・1976年から1979年の間、VF2(空母エンタープライズ)に所属。管理操縦士、その後作戦操縦士として、F-14戦闘機の戦技開発に従事。
・1979年3月に軍を退役
・親子で敵機を撃墜した唯一のパイロット(父のロバート・ドーズ元大佐はVF12(F6F、空母サラトガ)に所属し、ラバウル方面で零戦を撃墜している。)
……エンタープライズに乗った経歴がありましたね!
しかし私のWEPは、本当にカートさんが着用したものなんでしょうか?
このWEPにエンタープライズのパッチをつけたのは、1976年以降になりますが、VF92を去ってから4年以上経つのに、VF92の部隊パッチとネームタグをわざわざつけるでしょうか?
ミグキラーのフライトジャケットを再現しようと、後世の人が経歴をよく調べないで取り付けたと考えることもできます。
VF92の部隊パッチだけ使い古された感があり、縁にほつれがあるため、他のジャケットから取り外した後、このジャケットに縫い直したと思われます。
しかしネームタグはVF92の表記がありますが、縫い直した跡がありません。
ネームタグは部隊配属後にジャケットやスーツ分も含めて複数作るはずなので、後になって余っていた分を縫い付けたものと思います。
おそらくカートさんは、1976年から1979年の間に、単なる防寒ジャンパーとなったWEPに、過去の記念的な意味合いで、VF92時代のパッチをつけたんじゃなかろうかと推察します。
……以上は都合の良い妄想です。
しかしこのWEPに取り付けられているパッチは、当時のもので間違いないと思います。
古いパッチはそれだけでも十分価値があります。
もし本当にカートさんのフライトジャケットだった場合、何の因果か、巡り巡って私のところに来たのなら、それは凄いことです。
知識と想像力を膨らませて、ロマンに浸るのも楽しいですね。
WEPの話はこれでおしまい!
お付き合いいただきありがとうございました。
次回をお楽しみに!