原子力委員会の始まりが日本の終わりだった | ミ★(*・ω・)v SDKL@Bom★BUG!!★彡

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日本は戦後、アメリカから資源と技術を輸入して原子力産業をはじめた。
このプロジェクトを進めるために日本政府が樹立したのが「原子力委員会」である。

初代原子力委員会の会長は(初代科学技術庁長官)正力松太郎である。
そして正力松太郎と、戦後の政財官学界に大きな影響力を持った「産業計画会議」のメンバーが、日本の原子力産業の影の主役である。
「産業計画会議」は、電気事業の重鎮であった松永安佐ェ門が組織し、
メンバーには、鮎川義介、白州次郎を始めとする産業界の有力者が居た。


簡単に言えば、原子力委員会(産業計画会議メンバー達)は、アメリカの財界と組んで、私服を肥やしただけである。
それが日本に於ける原子力委員会の始まりなのである。


浜松原発の立地に付いても、アメリカは、日本に原子力技術を供与するにあたり、大地震による原発事故のリスクを呑ませたのである。
私服を肥やす為だけに出来た組織…国民の安全性とか、日本国家の為だとはコレっぽちも持っては居なかったんだよね。


地震のスイッチが某国に有る限り、日本は某国から独立することは不可能である。

残念っぽいな…。



原子力委員会の始まりが日本の終わりだった