次にぶつかったのは「銀行」だった。
僕は、それまでの人生で「銀行」の方とお仕事をしたことがなかった。
ただ、僕はその頃に”高杉良”や”江上剛”の銀行を題材にした小説にはまっていたこともあり、
「銀行は、庶民や企業をいじめる人たちだ!!」
という(誤った)先入観を持っていた。
いやあ、青かった。
今でこそ、「銀行」にいる人たちにも、熱い思いを持っている方や卓越した能力を持った方がたくさんいるのを知っています。
とにかく当時は無知でした。
だから、僕は「銀行」の人に対して、
「銀行から僕の大事な従業員を守らなくちゃ!」
と、最初から身構えた気持ちでいた。
そんな頃、「銀行」(いわゆるメインバンク)の方(Mさん)が、僕が出向しているホテルや旅館に顔を出すようになった。
Mさんは、僕よりも10歳近く上で、僕なんかよりずっと長くホテルの再生に関わっている経験豊富な方、という触れ込みだった。
ある時、Mさんとお会いして、僕が出向しているホテルの再生について話を聞いてみたが・・・
・・・なんか違う。
言ってることがどうしても納得ができない。
この人の言うとおりにしたら、大事な従業員に迷惑がかかるんじゃないか・・・
そう感じた僕は、生意気にもこんなことを相手にぶつけてしまった。
「あなたの言っていることだけではホテルはよくならない!
従業員が混乱するので、このホテルの再生に手を出さないでほしい。」
・・・うーん、生意気ですね。
Mさんの提案だけではホテルがよくならない、という僕の直感は間違っていないと、僕は今でも思っています。
(事実、ずいぶん後でこのことは実証されることになります)
しかし、こんな風に直接的に言ってしまうとどうなるか?
当然ですが、相手は怒りますよね(笑)
しかし、僕も全く譲らない。
結果としては、Mさんは僕に対してアドバイスをしていただくが、従業員に対して直接の指導等は行わない、ということになった。
僕は、
(これで従業員を守ることができた!!)
と手放しで喜んでいた。
しかし、この出来事が、後になって取り返しのつかない状況をつくる一因になっていることに、その時の僕はまだ気づいていなかった。
◆僕の教訓
ぶつかってばかりではいい仕事はできない。
いい仕事のためには、ステークホルダーを「仲間」にしていくことが重要。
さて、これから何回かに分けて書く話は、僕が失敗へと進んでいく話です。
正直言って、今思い出しても悔しいし、腹が立つこともある。
だから、これまで誰にも話していない話がほとんどです。
あれだけ仲が良く、なんでも話すうちの奥さんにも、です。
現在経営に関与している人、これから関与しよう・したいと思っている人が同じ失敗をしないことを祈って、恥を忍んで書かせてもらいます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
まず、最初の衝突は、「上司」つまりは「社長」だった。
「社長」は、僕が出向していた会社の生え抜きの方で、当時でたしか65歳くらい。
ホテル、旅館事業の経験は豊富すぎるほど豊富。
少し頑固なところはあったものの、突然やってきた若造(僕のことです)が好き放題言っているのを聞いてただけるだけの度量もあった。
ただ、唯一僕と意見が大きく合わないことがあった。
それは、僕が能力を認め、仲間(同志)だと思っていた方(諏訪の旅館の総支配人)の処遇。
僕は、その仲間となった方にもっと会社の重要な役を担わせるべきだと思っていた。
しかし、「社長」と僕の仲間は、以前からの犬猿の仲で、「社長」はその方を重用しようとしなかった。
ただ、「社長」は、次の6月には定年で社長を引退する予定。
「社長」がいなくなった後に、その仲間の方を重用することを僕は目論んでいた。
そんな時に事件は起こった。
僕はその頃、間近に自分の結婚式を控えていたために、週末だけは松本から東京に戻っていた。
東京にいる時、その仲間の方から連絡があった。
「どうしたんですか?」
「残念ながら、会社を辞めることにしました」
「・・・?何があったんですか?」
「社長と言い合いになり、意見が完全に合わなかったため、私が辞めることにしました。」
「何を言ってるんですか?考え直してください」
その後、散々説得したものの、どうしても考えを変えようとしない。
僕は、完全に頭に血が昇り、「社長」にすぐにでもどういういことかを問いただしたかったが、東京にいたため、それもできなかった。
次の日、朝早くから松本に行き、会社に到着するやいなや、僕は社長室に飛び込んでいった。
「どういうことですか?僕がいない間にどういうことですか?」
「あいつ(僕の仲間)が辞めたい、っていうから、じゃあ辞めればいい、と言っただけだ」
そこからは、僕と「社長」との間で怒鳴り合いになったものの、「社長」はもう決まったことだからの一点張り。
その時、僕も頭に血が昇っていたものだから、「社長」に対して、失礼なことを言ったのだと思う。(若気の至りですね、はい)
今思うと、この時に「社長」が僕に対して、
(こいつ、生意気な)
という感情を持ったとしても全く不思議はなかった。
結局、この決定を覆すことができなかった。
この決定から数日後。
僕の仲間と最後に二人きりで飲むことになった。
「力不足ですいませんでした」
と、謝る僕に対して、
「気にしないでください。 ただ、(僕の仲間が総支配人をしていた)この旅館の従業員だけはよろしくお願いします。」
と、言われて、僕は「はい」というしかなかった。
こうして、僕は大事な仲間を一人失うこととなった。
◆僕の教訓
会社を改革しようとするときに同志は絶対に必要。一人では何もできない
正直言って、今思い出しても悔しいし、腹が立つこともある。
だから、これまで誰にも話していない話がほとんどです。
あれだけ仲が良く、なんでも話すうちの奥さんにも、です。
現在経営に関与している人、これから関与しよう・したいと思っている人が同じ失敗をしないことを祈って、恥を忍んで書かせてもらいます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
まず、最初の衝突は、「上司」つまりは「社長」だった。
「社長」は、僕が出向していた会社の生え抜きの方で、当時でたしか65歳くらい。
ホテル、旅館事業の経験は豊富すぎるほど豊富。
少し頑固なところはあったものの、突然やってきた若造(僕のことです)が好き放題言っているのを聞いてただけるだけの度量もあった。
ただ、唯一僕と意見が大きく合わないことがあった。
それは、僕が能力を認め、仲間(同志)だと思っていた方(諏訪の旅館の総支配人)の処遇。
僕は、その仲間となった方にもっと会社の重要な役を担わせるべきだと思っていた。
しかし、「社長」と僕の仲間は、以前からの犬猿の仲で、「社長」はその方を重用しようとしなかった。
ただ、「社長」は、次の6月には定年で社長を引退する予定。
「社長」がいなくなった後に、その仲間の方を重用することを僕は目論んでいた。
そんな時に事件は起こった。
僕はその頃、間近に自分の結婚式を控えていたために、週末だけは松本から東京に戻っていた。
東京にいる時、その仲間の方から連絡があった。
「どうしたんですか?」
「残念ながら、会社を辞めることにしました」
「・・・?何があったんですか?」
「社長と言い合いになり、意見が完全に合わなかったため、私が辞めることにしました。」
「何を言ってるんですか?考え直してください」
その後、散々説得したものの、どうしても考えを変えようとしない。
僕は、完全に頭に血が昇り、「社長」にすぐにでもどういういことかを問いただしたかったが、東京にいたため、それもできなかった。
次の日、朝早くから松本に行き、会社に到着するやいなや、僕は社長室に飛び込んでいった。
「どういうことですか?僕がいない間にどういうことですか?」
「あいつ(僕の仲間)が辞めたい、っていうから、じゃあ辞めればいい、と言っただけだ」
そこからは、僕と「社長」との間で怒鳴り合いになったものの、「社長」はもう決まったことだからの一点張り。
その時、僕も頭に血が昇っていたものだから、「社長」に対して、失礼なことを言ったのだと思う。(若気の至りですね、はい)
今思うと、この時に「社長」が僕に対して、
(こいつ、生意気な)
という感情を持ったとしても全く不思議はなかった。
結局、この決定を覆すことができなかった。
この決定から数日後。
僕の仲間と最後に二人きりで飲むことになった。
「力不足ですいませんでした」
と、謝る僕に対して、
「気にしないでください。 ただ、(僕の仲間が総支配人をしていた)この旅館の従業員だけはよろしくお願いします。」
と、言われて、僕は「はい」というしかなかった。
こうして、僕は大事な仲間を一人失うこととなった。
◆僕の教訓
会社を改革しようとするときに同志は絶対に必要。一人では何もできない
いきなり経営企画部長として送り込まれて3か月ほど経った頃。
僕は、経営って以外と簡単なんじゃないか、と思い始めていた。(完全に勘違いです)
そして、どうなったか?
僕は完全に調子にのりました。
もともと僕は楽観的だし、調子にのりやすいタイプなので、すぐに根拠のない自信でいっぱいの状態になった。
そして、どう思うようになったか?
僕は、無謀にもこの会社を僕自身の手で経営したい、と思うようになっていた。
ついこの間まで、経営者なんて絶対無理と思っていた僕が、だ。
もっともっと責任と権限が欲しい、と思うようになっていた。
ちょうど、次の6月の株主総会で、現社長が引退することになっていた。
その時点で新体制になるから、僕が実質的に会社を経営できるような体制になるように持っていこう。
そのための準備(根回し)をしよう、と決め動き始めた
では、具体的に何をしたのか?
まずは、会社の中に仲間をつくった。
僕と同じ思いや志を持ち、信頼のできる仲間が欲しかった。
一番仲間にしたかったのが、グループ内にある諏訪の旅館の総支配人をしている方だった。
60歳近いという方ではあったが、会社内では経営感覚が抜群だったし、何より僕と気が合った。
唯一の難点は、現社長と不仲である、ということだったが、僕はそんなことを気にしなかった。
この方に僕の思いを伝え、語り合い、いっしょに戦っていくことを誓い合った。
仲間づくりのためにもう一つしたことは、外から人を引っ張ってくることだった。
ホテルのマネージャークラスの人で、松本ではなく東京や他の地域でバリバリ働いている方がほしかった。
会社の経営陣には、外からの採用が必要であることを何度も説明し、納得してもらった。
候補者の方たちには、僕自身が面接をして、松本まで来てほしいと口説いた。
こうして、2名の方が新たに加わることとなった。
次にしたことは、僕が実質的に全ての経営に関与できる体制をつくることだった。
経営企画部長の役割として、現社長退任後の新体制のたたき台を作ることになっていた。
だから、僕はあまり目立たない形で、全ての権限が僕に集まるような絵を描いた。
そして、会社の経営陣にこの体制が必要だということを何度も説明した。
僕はこの頃、何もかもがうまくいっている、と感じていた。
従業員との関係もますますよくなっていたし、僕が描く新しい体制の実現にも着実に近づいていると思っていた。
しかし、僕は自分の大事な「部下」である従業員のことばかり見ていて、大事なものをよく見ていなかった。
それは、僕の世界の上もしくは外にあった。
具体的に言うと、「上司」と「銀行」を見ていなかった。
◆僕の教訓
自信を持つことは大事だが、過信はいけない。
見るべきものが見えなくなってくる。
僕は、経営って以外と簡単なんじゃないか、と思い始めていた。(完全に勘違いです)
そして、どうなったか?
僕は完全に調子にのりました。
もともと僕は楽観的だし、調子にのりやすいタイプなので、すぐに根拠のない自信でいっぱいの状態になった。
そして、どう思うようになったか?
僕は、無謀にもこの会社を僕自身の手で経営したい、と思うようになっていた。
ついこの間まで、経営者なんて絶対無理と思っていた僕が、だ。
もっともっと責任と権限が欲しい、と思うようになっていた。
ちょうど、次の6月の株主総会で、現社長が引退することになっていた。
その時点で新体制になるから、僕が実質的に会社を経営できるような体制になるように持っていこう。
そのための準備(根回し)をしよう、と決め動き始めた
では、具体的に何をしたのか?
まずは、会社の中に仲間をつくった。
僕と同じ思いや志を持ち、信頼のできる仲間が欲しかった。
一番仲間にしたかったのが、グループ内にある諏訪の旅館の総支配人をしている方だった。
60歳近いという方ではあったが、会社内では経営感覚が抜群だったし、何より僕と気が合った。
唯一の難点は、現社長と不仲である、ということだったが、僕はそんなことを気にしなかった。
この方に僕の思いを伝え、語り合い、いっしょに戦っていくことを誓い合った。
仲間づくりのためにもう一つしたことは、外から人を引っ張ってくることだった。
ホテルのマネージャークラスの人で、松本ではなく東京や他の地域でバリバリ働いている方がほしかった。
会社の経営陣には、外からの採用が必要であることを何度も説明し、納得してもらった。
候補者の方たちには、僕自身が面接をして、松本まで来てほしいと口説いた。
こうして、2名の方が新たに加わることとなった。
次にしたことは、僕が実質的に全ての経営に関与できる体制をつくることだった。
経営企画部長の役割として、現社長退任後の新体制のたたき台を作ることになっていた。
だから、僕はあまり目立たない形で、全ての権限が僕に集まるような絵を描いた。
そして、会社の経営陣にこの体制が必要だということを何度も説明した。
僕はこの頃、何もかもがうまくいっている、と感じていた。
従業員との関係もますますよくなっていたし、僕が描く新しい体制の実現にも着実に近づいていると思っていた。
しかし、僕は自分の大事な「部下」である従業員のことばかり見ていて、大事なものをよく見ていなかった。
それは、僕の世界の上もしくは外にあった。
具体的に言うと、「上司」と「銀行」を見ていなかった。
◆僕の教訓
自信を持つことは大事だが、過信はいけない。
見るべきものが見えなくなってくる。