四十にして立つ ~1,000億円企業への道~ -19ページ目

四十にして立つ ~1,000億円企業への道~

40歳を前に突然起業しようと思い立った現役社長が、実際の出来事を通して、企業経営の楽しさや苦しさを発信中!!
「10年後に1,000億円」を公言して起業した僕が、いかにしてその目標を達成したかを描くリアル・サクセスストーリー

新社長になるKさんに呼ばれて行ってみると、そこは僕の弾劾裁判の場だった。


裁判官はKさん、Mさん(銀行からの出向)、そして現社長の3人。

被告は、もちろん僕です。


まず最初に言われたのが、昨日の経営方針発表会のこと。

「なぜ、待たずに始めようとしたのか?」

「社長を何だと思っているのか?


等々、特にKさんから昨日の怒りのテンションそのままに、いろいろと尋問された。
(昔のことなんで、何を言われ、なんと答えたのかはほとんど覚えていません。申し訳ありません)

そして、もうそろそろ終わりかなと思っていたところ、話の最後にこう言われた。

「黒田さんは、以前から色々と問題がある」

・・・え?以前から?
昨日のことだけじゃないの?


ここから、Kさん、Mさん、現社長が僕に対して以前から溜めていた不満を爆発させることになる。

「黒田さんは、社長や上役の人に対して直截的に意見を言いすぎる。敬意が感じられない。」

(え?「言いたいことは何でも言ってくれ」って言っていたのでは・・・?)

「黒田さんは、社長やその他の人にも役職をつけて呼ばない。常識が無いのではないか」

(確かに僕は「○○社長」とか「○○部長」とか役職をつけて呼んではいなかった。
 僕がいた前職(パナソニック含めて)では、つけて呼ばないのが一般的なルールだったので、つけないのが普通だと思っていたなあ・・・)

「黒田さんは、いつも姿が見えない。どこにいるかわからない」

(いや、朝早くから担当のホテルに行って、バリバリ働いてますよ。
 まあ、確かに3人がいつもいる本社にはいないので、会うことはないけれども・・・)


「黒田さんは、住居を松本に移していない。本気の再生をするなら引っ越してくるはずだ」

(・・・うーん、そう来たか)

実は、僕はこの時の2か月ほど前に結婚式をあげたところで、それまでは式の準備もあって、週末だけは毎週帰っていたのだが、それも不満に思っていたとは・・・

あと、あれやこれや何個も言われたのだが、よくは覚えていない。

ただ、最終的なまとめとして、僕という人間がどういう人間かを言ってくれた。

「黒田さんは、組織人として欠陥がある」

・・・なるほど、「欠陥人間」ということですか。これは間違いなく「有罪」判決ですね。

色々言われている途中で、僕はようやく気付いたことがある。

昨日のことだけが問題じゃなかったんだ。
この人たちは、以前からずっと僕に対する不満を溜めこんでいたんだ。
以前に現社長と僕の仲間の退職を巡って口論になったこと、Mさんとホテルの改革の方向性について口論になったこと。
そういうことが積み重なってふくれあっていたんだ。
要は、僕を責めるきっかけが欲しかったんだ。

うかつにも、僕はこの時まで全くそのことに気づいていなかった。あまりにも鈍感だった。

後悔してるだけでは何も始まらないので、僕は何をしたのか?

そう、僕はひたすら謝った。
更には、新婚早々のうちの奥さんには申し訳ないが、松本に住居を借りるということも誓った。


念願の取締役になって、これからという時である。
こんなことで、せっかくたどり着いた取締役の座から降ろされるのはまっぴらごめんだった。

裁判官の3人も、本心を言えば、僕を解任したい、というのははっきりとしていたが、全従業員にすでに新経営陣、つまりは僕の取締役就任を発表してしまっている。
今更、撤回してもいいのかどうかを決めかねているようだった。
結局その日は、僕に反省文を書くように言って(本当に書きましたよ)、解散となった。


それからというと、僕はとにかくおとなしくしていた。
こちらで住むマンションも探し、契約も済ませた。

そうこうしているうちに、とうとう僕が正式に取締役に就任する日がやってきた。


◆僕の教訓
人に対する不満は一日でたまるものではない。
日々、少しずつ積みあがっていき、ある日突然溢れ出す。
僕の失敗が決定した日、その日は経営方針発表という新経営陣のスタートとなるはずの日であった。


銀行の支店長だったKさんを社長とした新経営陣に、6月に正式にバトンタッチされることになっていた。
(新経営陣発足の経緯はこちらを参照)
その前に5つある全ホテルの全従業員に、今後の会社の経営方針(進むべき方向性と何をすべきなのか)をきちんと話すことは、何が何でもやらなければならなことだった。


ところで、この会社の今後の経営方針を作っていたのは誰だったのか?

そう、答えは、僕です。

何しろKさんは銀行から出向してきたばかりだし、ホテル業は全くの未経験。

同じく銀行から来た出向してきた「Mさん」は、ホテル業には精通しているが、この4月にやってきたばかりで勝手がわからない。

必然的に僕が経営方針のドラフト(骨子)をつくることとなった。
そして、方針発表会当日は、新経営陣を代表してKさんが簡単にあいさつした後で、僕のほうから集まった全従業員に対して経営方針を説明することになっていた。

しかしながら、5つのホテルは、地域もバラバラ、業態もバラバラ。
だから、発表会も1回でやってしまうのではなく、3回に分けて実施することになった。


運命の日。
その日は、午前中に諏訪にある旅館、午後に松本にとんぼ返りして、温泉付き和風ホテルで方針発表を行なうことになっていた。

まず、諏訪へと移動するわけだが、移動手段は当然自動車。
僕は以前より貸与されていた営業車、他の人たちは別の車、結局2台に分かれていくことになった。

諏訪での方針発表は、社長のあいさつ、そして僕の経営方針の説明、と何の問題もなく終了。

(よし、これなら次の和風ホテルでも大丈夫だ)

と、自信を深めていた。
何しろ、小型の諏訪の旅館とは違い、次に説明を行なう和風ホテルは、松本はもちろん、長野全体で見ても最大級の大型和風ホテル
従業員数は150名程度(だったと思う)と、かなり多い。

しかし、ここで問題が起こった。
Kさんがなかなか出発しようとしないのだ。

初めて訪問した諏訪の旅館の方としっかり話そうとするKさんの気持ちはよくわかった。
しかし、次の開始時間から逆算すると、もう出発しなければならないギリギリの時間になっていた。
そこで、何度もKさんを催促するのだが、一向に出発する気配がない。

(150名もの従業員を待たすわけにはいかない!!)

150名が何もせずにただボーっと待っている。これほど、非生産的でムダなものはない。
このままいったら、間違いなくそのような状態になるから、僕は、僕だけでも間に合うように行こうと決めた。万が一、Kさんの到着が遅れても、僕さえいれば肝心の経営方針の説明はできる。社長の挨拶は着いた後にしてもらえばいい、と判断した。

そこで、僕はKさんに

「先に戻ります。とにかく時間通りに始めます。」

と言って、KさんやMさんを残して、一人で車を飛ばして松本の和風ホテルに向かった。

僕が和風ホテルに着いたのは、開始予定時刻の5分ほど前。
ギリギリ間に合ったので、僕は予定時刻通りに始めることとした。

会場に行き、まさに始めようとしたときに、僕宛にKさんから(Mさんからだったかな?)電話が入った。

「もう始めたんですか?」

「いや、今からちょうど始めるところです」

「社長が着いていないのに始めるなんてありえないでしょう。
 今、向かっているから待っていてください。」

「いや、しかし、これだけの従業員を待たすわけにはいかないでしょう。」

「とにかく待っていなさい。」


と、いうことで、僕は不承不承ではあるが、従業員の皆さんに状況を説明して、Kさん達が到着するのを待ってくれるようにお願いした。

やがて、開始予定時刻の15分ほど過ぎた頃にKさん達は到着。
予定通りに社長の挨拶、その後に僕からの経営方針の説明と方針発表自体は何の問題もなく終了した。
しかし、終了時刻は、当然ではあるが予定の15分遅れで終わることとなった。

さて、方針発表会が終了した後、僕はKさんに呼び出された。
Kさんはものすごい勢いで怒っていた。

「勝手に始めようとするとはどういうことだ!!」

(・・・え?間に合わなければ先に始めるのは言ってあったでしょう?)

と、僕は思ったものの、けんかしてもしょうがない、と思い直して、

「申し訳ありませんでした」

と、神妙にお詫びをしたものの、Kさんの怒りは収まる気配はない。
Kさんは怒った状態のまま、その日は解散、Kさんは帰っていった。
僕は、ますいことになったなあ、と思いはしたものの、

(まあ、しばらくすればKさんも落ち着くだろう)

と、軽く考えていた。

しかし、本当の修羅場は次の日だった。
次の日、僕はKさんに呼び出された。部屋にはKさん以外にも、Mさん、そして「前社長」がいた。
こうして、僕の弾劾裁判が始まることとなる。



◆僕の教訓
人の感情のスイッチがどこにあるのかは人それぞれである。
自分が思いもしないところで相手の怒りのスイッチが入ってしまうこともある。
僕の失敗へのカウントダウンは、僕の取締役就任が決まった時から始まった。

松本に出向してから約半年後のもうすぐ4月になろうかという頃、僕のコツコツとした努力と根回しの成果により、6月からの取締役就任が決まったことを告げられた。

(よし!これでもっと思い切ったことができる!!)

と、内心大喜びしていたが、続きの話を聞いて愕然とした。

「新しい社長には、銀行(メインバンクさん)で現在支店長をしているKさんに来てもらうことになった」


(・・・銀行の人?なんだかやりにくくなるなあ)

「あわせて、黒田さんの上役の取締役として銀行のⅯさんに来てもらうことになった。」

(・・・Ⅿさん?それってあのMさん?)

そう、あのⅯさん。
以前に僕が「このホテルの再生に手を出すな」と言って、もめにもめたあのⅯさんである。
(詳しくはこちらを参照)

よりによって僕の上役とは・・・
僕としては、これはうまくいかないんじゃないか、と思っていたが、上層部で決定されたことであり、権限のない僕ではこの決定を覆すことはできなかった。


数日後、大きく不安を抱えたまま、Kさん・Mさんとの顔合わせがあった。

新しく社長になるKさんに対する僕の第一印象は、

(気さくで明るい方だなあ)

と、非常にいい印象だった。

「仲間なんだから、何でも言いたいことは言い合おうよ」

と、Kさんから最初に言っていただいたので嬉しくなった。
その後、僕はその言葉に甘えて、経営会議や打合せで、改善すべきことや提言をKさんに対して、臆することなくドンドンするようなった。(そのことが、後になって大きく尾を引くことになるとは、夢にも思わずに・・・)

心配していたMさんからは、

「過去のことはともかく、これからは一緒に力を合わせてやっていきましょう」

と最初に言われ、ホッとした。

ただ、やはりMさんもやりにくいところもあったのか、

「上司・部下の関係ではなく、傘下の5つのホテルを2つに分けてそれぞれが管理しませんか?」


という提案をしてくれたので、僕は喜んで提案に乗った。
こうして、僕が松本にある温泉付き大型和風ホテル諏訪にある旅館風ホテルの2ホテルの改革担当取締役、Mさんがそれ以外の3つのホテルを担当することとなった。

それからの1か月くらいは、驚くほど順調に進んでいった。(と、僕は思っていた)
取締役になることが決まって、僕のやる気は更に上がり、担当する2ホテルの運営にのめりこんでいた。

毎日、朝の6時頃から夜中の12時頃までとにかく働いた。
毎朝、広い館内をぐるっとまわって、一人ひとりに挨拶して回るようにもなった。
本来のミッションである業績管理や業務改善はもちろん、お客様の出迎えや見送り、館内の誘導、配膳のお手伝い等も率先してやるようになった。
そうこうしているうちに、従業員との関係も益々深まり、個別に話し込んだり、飲みながらホテルの目指す方向を語り合うことができる人も増えてきた。

僕は、このままやっていけばうまくいく、というような手ごたえを秘かに感じ始めていた。
しかし、実際には失敗へのカウントダウンはどんどん進んでいたことに、その頃の僕は全く気付いていなかった。

カウントがゼロになって、ついに爆発してしまったのは、従業員全員を集めて、新経営陣の挨拶と今後1年の経営方針を発表する経営方針発表会の日だった。


◆僕の教訓
一度きりだと思う出会いでも大切にしなければならない。
いつ、どのような形で再会することになるかわからない。