四十にして立つ ~1,000億円企業への道~ -17ページ目

四十にして立つ ~1,000億円企業への道~

40歳を前に突然起業しようと思い立った現役社長が、実際の出来事を通して、企業経営の楽しさや苦しさを発信中!!
「10年後に1,000億円」を公言して起業した僕が、いかにしてその目標を達成したかを描くリアル・サクセスストーリー

なぜ、僕がコンサルタントに向いていないのか?


前回のブログの最後に言ったように、僕はコンサルタントに向いていない。
大きくは2つの理由がある。

一つ目の理由は、僕には「コンサルタントとして必要不可欠な能力が足りない」ということである。

そのことに気づいたのは、僕が外資系の経営コンサルティング会社に入ってすぐのこと、今からもう8年位前のことだ。


8年ほど前、僕は8年近く勤めた電機メーカーを辞めて、経営コンサルティング会社に転職をした。
実は、このコンサルティング会社に入るのもすんなりとはいかなかった。

そもそも僕は電機メーカー時代は営業マンである。
それもゼネコンやテーマパーク等の企業に電気設備やエレベーターなんかを販売していたコテコテの営業である。

そんな人間が経営コンサルティング会社に入ろうとしても、普通なかなか入れてくれない。
コンサルティング会社の面接は特殊で、ケーススタディというものが中心である。
これは、ケーススタディをやり慣れていない人間でないとまずできない。
営業だけをしてきた僕ができるのかというと、もちろんできるわけがなかった。

それなのに、なぜだかわからないが、練習のつもりで受けた最初の会社で最終面接まで進んでしまったのである。

当時、転職エージェントからは

「最終面接ってのはその会社のトップとの顔合わせだけなんです。
 最終面接まで進めば、受かったも同然で、そこで落ちる人間はいませんから」

と言われていたため、もう受かった気分になっており、

(コンサルタントの面接って聞いてたほど大したことなかったな)

と、すっかり有頂天になっていた。


ちょうどその頃、僕のいた電機メーカーで大幅な組織再編が行われることになり、僕のいた部署は、吸収合併した子会社に移管されることになっていた。
僕が転職を考えていることを知っていた上司からは、移管する子会社に行ってすぐにやめるのはまずいから、残るのか、転職するのか、最終結論を出してくれと言われていた。
その回答期限が、まさに最終面接の前々日だったのだ。

その回答期限の日、僕は

(最終面接にまで行ったんだから、落ちることはまずない。
 万が一、落ちたとしても、他のコンサルティング会社で受かるところがあるはずだ)

と、かなり楽観的な気分になっていたため、

「僕、会社辞めます」

と、次の就職先が決まってもいないのに言ってしまい、辞表まで提出してしまったのである。


さて、もう後がなくなって臨んだ最終面接。
もう受かったも同然の気分で行ってみると話が違う。
そのコンサルタント会社のトップの方(当然、頭の出来が違う)から、ケーススタディが出題され、鋭い質問がバンバン出てくる。

僕は、メッタ打ちの状態で面接を終えた。

結果は・・・

当然のことだが不合格。


(まあ、これは想定内の話だ。元々練習のつもりで受けたんだから)

と開き直ったものの、それからがひどかった。

受けるところ、受けるところ、全て落ちるのである。

たぶん皆さんが一度は聞いたことがあるようなコンサルティング会社は全て受けていると思う。
挙句の果てに、「え?そんな会社あるの?」という、誰も聞いたことがないようなコンサルティング会社も受けた。

それでも落ちる。
それも、惜しかった、というレベルではない。
1次、よくても2次面接くらいで落ちるのである。

この頃になって、ようやく僕は気づいた。

(僕にはコンサルタントは向いてないんじゃないか?

しかし、その頃の僕には、自分自身に何が足りないのか、さっぱりわからなかった。

こうして時間だけが過ぎていき、とうとう僕は電機メーカーを退職する日を迎えた。
その日を迎えても、僕の就職先は決まっていなかった。

退職する日、会社の同僚全員に向かってお別れのスピーチがあった。

「長い間、お世話になりました。
 次の就職先は・・・ まだ、決まっていませんが、頑張ります!」

と言って、締めくくった。
同僚はみんな「大丈夫か?」と心配してくれた。当然だ。

僕の履歴書を見ると、電機メーカーを辞めた日から次の会社での初日まで、謎の空白期間がある。

理由は単純。次の就職先が決まっていなかっただけだ。


◆僕の気づき
経営コンサルタントに必要な能力というのは確かにある。
それは、営業マンとしてどれだけ経験を積んでも得られない場合がある。
松本から帰ってきた後、僕はどうなったのか?


前回までのブログで書いた通り、僕の初めての経営経験は、見るも無残な結果に終わった。

僕の経歴には「1か月で取締役をくび」と文字通り傷が着いたし、何より僕の心にも大きく傷を残した。

では、僕は松本での痛い経験を経て、どう思うようになっていたか?

「もう、経営者なんてこりごり。2度と経営なんてやりたくない!!」

と、思うようになっていたのか?


答は、「No」です。

むしろ逆で、あれだけ痛い目に合ったのに、できるだけ早く同じように「経営者」として乗り込んでいく場に戻りたかった。

たとえは悪いかもしれないが、戦場に行った人の何人かは、平和な日常の生活に戻っても物足りなさを感じて、また戦場に舞い戻ってしまうという話を聞くが、それと同じような感覚なのかもしれない。

あの敵だらけの中に一人で乗り込んでいく高揚感、
一歩進む道を間違えば大けがを負ってしまうようなぎりぎりの緊張感・・・


僕は、すっかりその感覚のとりこになっていた!
一刻も早く、戦場に戻りたかった。


しかし、戦場を熱望をする僕の気持ちとは裏腹に、現実はそうはうまくは進まなかった。


僕のいた会社は、もともとは松本で行ったようないわゆるハンズオン(現場に常駐・出向しての経営執行)型の再生支援を行なう会社としてつくられたはずだった。
しかし、このビジネスモデルには大きな問題があった。
それは、もうからない、ということだった。

もうからないビジネスを続けるわけにもいかず、僕のいた会社はだんだんと再生型のコンサルティング会社として舵を切っていくことになる。

そこで、大きな問題がでてくることになる。

それは何か?

それは、僕がコンサルタントには向いてない、ということである。


◆僕の教訓
一度、経営することの醍醐味を知ってしまうと病みつきになってしまう。
失敗さえも経営するうえでの肥やしだと思えてしまう。
これは、僕が松本を去った後の話である。


僕が松本を去った後、新しく社長になったKさん、取締役になったMさん(お二人とも銀行からの出向者)の両方とも、結局1年と持たなかったそうだ。

理由はよくは知らない。

Kさんはゴルフ三昧だったとか、改革らしい改革は何もしなかったとか、うわさでは聞いたことはあるが、確かなことは知らない。
(その頃、僕は松本のことを早く忘れたかったので、聞こうともしなかった)

確かなことは、まずはKさんが社長を辞めて銀行に戻り、その後にMさんも銀行に戻ったということだけだ。
その後は、元から会社にいた方(いわゆるプロパーの方)が社長になり、今でもその体制が続いている、ということらしい。


僕が直接スカウトして松本まで来てもらった2人の同志も、今は1人しか松本にいない。

同志の1人であるOさんは、沖縄にある某ホテルの総支配人経験者。
グループ内で一番大きく、象徴とも言えるシティホテルの総支配人として来てもらった。
松本にきてからは、ホテルサービスの基本中の基本のところを教え込んでいただき、ずい分とサービスのレベルが上がったという声を後で聞いた。
ただ、やはり、1人で「孤軍奮闘」するのには限界があったようで、改革途上で燃え尽きてしまい、リタイアしてしまった。


もう1人のSさんは、まだ僕の対する非難が表にでていないころに、僕が直接口説いて来てもらった方。
当時、都内近郊の外資系ホテルに勤めていたが、転職を考えているということで、優秀なホテルマンを探していた僕と東京で出会ったのが最初。

一目会ってSさんの人柄にほれ込んだ僕は、なんとしてでも松本まで来てほしい、と必死で口説いた。
そして、東京から松本に住まいを移すことで迷われていたのを何とか口説き落とすことに成功。(あの時はうれしかったなあ)

しかし、その直後に、ご存知の通りに僕自身が取締役を解任。東京に戻されることになった。

一緒に働くはずの僕がいない中で、Sさんは一人で松本に転居。
大変だったはずなのだが、持ち前の人柄と能力で、4年前にOさんと同じホテルの支配人として入社してわずか2年で、Oさんとの交代で総支配人として抜擢。

しかしながら、僕が東京で口説いて以来、Sさんとはきちんと会うことはなかった。

「約束が違うじゃないか!!」

と、僕のことを恨んでいるのかもしれない、と思っていた。
だから、会うのが怖くて、これまでは会うのを避けていた、というのが正直なところである。

しかし、2013年5月、起業をしたのをいい機会だと思い、Sさんに電話でアポを取り、会いに行くことに。

ホテルに着き、ドキドキしながらSさんを待っていると、

「お久しぶりです!」

という元気な声。

そして、開口一番、

「黒田さんがこのホテルを紹介してくれたおかげで、すごく充実しています。
 ありがとうございました!!」


恨み言を言われてもしょうがないような状況で感謝されたので、僕としてはびっくり。
そして、なんだかものすごくホッとした気分になった。

松本で知り合ったグループ外の人に何人も話を聞いたが、Sさんの評判は松本市内でものすごくいいらしい。


よかった。本当によかった。



以上で、長かった松本の話は本当にこれで終わりです。


結局のところ、この話は何だったのか?

僕のまいた種は、芽をだし、そして花が咲いた。

KさんやMさんがまいた種は、今は枯れて何も残っていない。
(そもそも、種をまいたのかどうかもわかりませんが)


ただ、それだけの話です。


◆僕の教訓
その人が行なったことの本当の成果はすぐにはわからないことが多い。
特に人に関する成果が目に見える形で表れるのは、ずい分と時間が経ってから。