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四十にして立つ ~1,000億円企業への道~

40歳を前に突然起業しようと思い立った現役社長が、実際の出来事を通して、企業経営の楽しさや苦しさを発信中!!
「10年後に1,000億円」を公言して起業した僕が、いかにしてその目標を達成したかを描くリアル・サクセスストーリー

再生コンサルの何に我慢できなかったのか?

今回書くことは、あくまでも僕の私見です。
再生コンサルの仕事自体は、非常に意義があり、世の中に必要な仕事だと心から思っていることだけは先に言っておきます。
また、私のいた会社も含めて、本当の意味での再生に本気で取り組もうとしている会社もたくさんいるということはお伝えしておきます。


前回、ブログに書いたように、再生コンサルタントの仕事をしていてどうしても我慢できなかったことがある。


一つ目は、結局やるのは会社の方、という点だ。

例えば、経営危機に陥った会社では、ほとんどの場合に人員削減が行なわれる。
希望退職や早期退職、雇い止め等、やり方はいろいろあるが、どの場合でも、実際に実行するのは会社の方なのである。

僕ら再生コンサルは、人員削減の必要性を会社の方に説明し、人員削減をすることを決めてもらう。
そして、何人削減するべきかを説明し、削減人数を決めてもらう。

しかし、いざ実行!となると、僕らは会社の方の後ろに隠れてしまうのである。

僕は、何かを厳しいことを行なう場合には、言いだしっぺが泥をかぶり、血をかぶる覚悟を持つべきだと思っている。
最前線の兵士が弾の飛び交う中で必死に戦っている中、弾の飛んでこない後方の安全地帯にいて指示だけ出した後は戦況を眺めているという立場。
これがたまらなく嫌なのである。

人員削減の計画を立てるなら、自分が責任もって実現するまで自分の手でやりきる。
これができないことが、僕を大きく苦しめることになった。


二つ目は、縮小均衡だけしかやらない(やれない)、という点だ。

経営危機に陥った会社に再生コンサルが提案する施策は、以前のブログでも書いた通り、リストラや資金繰りの改善策だ。
これは、間違いなく必要だ。
これをしなければ、早晩その会社はつぶれてしまうだろう。

ただ、これだけをすることが本当に『再生』なのだろうか?

会社の経営危機に陥った大きな原因の一つは、既存のビジネスがダメ、すなわち時代に合わなくなってしまったからではないだろうか?

そうだとすると、リストラや資金繰りの改善で息を吹き返したとしても、根本的な問題が解決していないのではないか?

本当に必要なのは、既存のビジネスでも新しい顧客層を開拓したり、新しいビジネスに進出したり、海外等へと販路を広げたり、そういう前向きなことに取り組むことではないだろうか?

こういった思いをいつも胸に抱いていた。

そう思っていたなら、やればいいじゃないか、と言われるかもしれない。
しかし、再生コンサルはそこまでやることをミッションとしていなかった。
そして、そもそものこととして、そういう前向きなことへのアドバイスができる人間が、僕も含めて社内に殆どいなかったのだ。
だから、やりたくてもやれなかった、というのが正しいのかもしれない。

その会社の再生のために、本当に必要なことを提供できない。
これが僕の中での悔しさであり、歯がゆさでもあった。


最後の三つめは、再生計画が顧客ではなく銀行向け、という点だ。

経営危機に陥った会社は、資金繰りが厳しく、銀行さんの支援なしでは、到底生き延びることができない。
だから、僕らが作成を手伝う再生計画というのは、銀行さんが見て「これはいい」と思ってもらう必要があるのだ。

銀行の方は、たくさんの企業を見てきているビジネスのプロではあると思う。
だが、銀行の方の視点や考え方と実際に事業をしている方のそれとは明らかに違う。

そういった銀行寄りに作った再生計画は、本当にその会社がしたかったことなんだろうか?
したくないことを計画にしても、本当に実行が長続きするのだろうか?

本当に会社のためだけを思った仕事ができないこと、これが大きなジレンマだった。


これらの大きな不満を抱えながら、また僕は約3年もの間、悶々とした状態で仕事を続けていた。
心の中には、マグマのように不満がどんどんたまり、いつ爆発してもおかしくない状態だった。

ただ、どうしていいのか、という答えが見つからなかった。
僕の中での時計の針は、その間、全く動いていなかったような気がする。


そんな僕の中の時計の針がようやく動き出すのは、今から1年くらい前、ある人との再会がきっかけだった。



◆僕の教訓
現在の企業の持つ課題は複雑であり、全ての課題に解決策を考えて、実行するのは至難の業。
そんな難しいことをコンサル1社だけで対応するのは到底不可能。


再生コンサルタントの仕事とはどんなものなのか?


前回までの数回のブログで、ずいぶんと昔の話にとんでしまいました。
話を3年ほど前、松本の出向先の取締役を「くび」になって、企業再生コンサルタントとして働くようになった頃に戻そうと思います。


過去の記事「経営中毒」を参照


コンサルタントとして向いていないことが痛いほどわかって、コンサルとは違う会社に転職したはずの僕。
しかし、気づけば転職した先の会社も、いつの間にか経営コンサルタント会社へと業態をシフトしていた。
そして、僕も製造業の再生を担当する部署で再生コンサルタントを名乗るようになっていた。

では、再生コンサルタントとは何をする仕事なのか?

いろいろな意見があると思うが、一言でいえば「リストラ」と「資金繰り」だと思っている。

再生コンサルタントの対象とする企業は、経営危機に陥っている会社である。
経営危機に陥ってる会社の共通項は、大きく2つである。
「業績が不振で赤字であること」と、その結果として「銀行からの借金を約束通り返済できないこと」である。

そういう状態の会社でやらなければならないことは大抵決まっている。
一つは、コストの削減。
その中でも一番大きいコストは「人」の場合が多い。
だから、ぎりぎりまで人員削減をする。

もう一つは、資産の売却。
借金を返すために持っている資産(不動産、証券等)を売却する。
場合によっては、一部の事業ごと売却する場合もある。

最後は、借金の返済猶予や条件の変更(専門用語ではリスケと言います)や借金の一部帳消し(債権放棄と言います)のお願い。
つまりはお金を借りている銀行さんに

「お金がなくて返せないから、借金の返済をしばらく待ってください」

とか

「この借金の一部をなかったことにしてください。じゃないと潰れちゃうんです」

と言ってお願いするのである。
当然ではあるが、

「はい、喜んで!」

と言って、すんなり了解してくれる銀行さんなどいるわけがない。
すったもんだのやり取りがあって、やっとのことでまとまるのである。


僕は、この4年間、たくさんの人(何十?何百?)に会社を辞めてもらい、何か所もの工場やオフィスを売却し、何億もの借金返済を止めてもらった。

・・・どうです、なかなかしびれる仕事でしょう?

僕のことを恨んでいる人、銀行はたくさんいると思う。

では、僕が後悔したことがあるか、というと一度もない。
人員削減や借入の返済猶予をしなかったら、会社が潰れてしまい、もっとたくさんの人が職を失い、もっとたくさんの銀行が泣いていたはずだ。
だから、間違ったことをしたと思ったこともない。

ただ、僕がこの企業再生という仕事でどうしても我慢できなかったことが別にある。
そして、それらのことが僕が起業しようとしたことにつながっていくのである。


◆僕の気づき
企業再生コンサルティングという仕事は、大抵の人に歓迎されない仕事である。
信念がないとなかなか続けられない。

自分に向いていない仕事を続けているとどうなるか?


前回までに書いてきたとおり、能力的にも、性格的にも、コンサルタントに向いていない僕。
そのことに入社してすぐに気づいたものの、コンサルタントという仕事は学ぶことはものすごく多いし、給料も電機メーカーと比べて断然多い。
だから、辞めることは考えず、必死についていこうともがいていた。

しかし、自分に向いていない仕事ってのは、やっぱりつらい。
同じことをやっても同僚の何倍も時間がかかるし、同僚が簡単にたどり着ける答えになかなかたどり着けない。

でも、一番問題なのは、心が燃えないことだ。
心が燃えていない状態でも高いクオリティを出さなければならないため、自分に向かって「もっと頑張れ、もっと頑張れ」と無理やり言い聞かせなければならない日々だった。

当然、ストレスもたまる。

その頃の僕は、それこそ毎日夜中の2時、3時まで働くという激務だったにもかかわらず、金曜日の夜だけは、毎週のように飲み会(いわゆる合コンってやつですね)に行ったり、会社以外の友達と真夜中までカラオケをしたり、記憶がなくなるまで飲んだりしていた。
たぶん、そうでもしなければ、心がもたなかったんだと思う。


しかし、そんな状態では、いいパフォーマンスが出せるはずがない。

経営コンサルタント会社に入って2年ほど経ったある日、そのコンサルタント会社のパートナー(偉い方です)に呼ばれた。

(何の話だろう?)

と、不安に思っていると、パートナーが開口一番、

 「黒田さん、今の君のパフォーマンスは非常に悪い。
 このままのパフォーマンスがあと数か月続くと、この会社にいられなくなるよ」

・・・ああ、これが世に聞く『肩たたき』というやつか。
まさか、自分の身に降りかかることになるとは・・・

かなりのショックだった。
しかし、このショックのおかげで、僕もさすがにおしりに火が付き、心も入れ替えて仕事に没頭した。
そのおかげでパフォーマンスも少しづつよくなっていき、なんとか『くび』の危機から逃れることができた。

経営コンサルタントとしてなんとか様になってきたかなあ、と、ようやく思えるようになったのは、入社して3年ほどした頃だった。
ロジカルシンキングの能力がもともと弱かったのだが、日々の訓練の成果もあって、コンサルタントと名乗って恥ずかしくない程度にはロジカルに考えることもできるようになっていた。

しかし、コンサルタント業界というのは、そもそも成長や昇進のスピードがものすごく速い。
新卒で入ったコンサルタントなんかは、僕よりも何倍も速いスピードで成長、昇進する人もいた。その結果、僕よりも4,5歳も下の若造が僕のはるか上の役職になる、なんてことは普通の出来事だった。

ちょうどその頃、中堅規模の企業の事業再生(ターンアラウンド)の案件を担当し、僕はその仕事の楽しさ、意義の大きさを知った。
僕は完全に魅了された。
だから、僕は企業再生専門の会社に転職することになるのだが、その仕事をどうしてもしたいから、という前向きな気持ちが転職理由の全てだとは僕自身も思っていない。

自分に向いてない仕事から早く抜け出したかった。
逃げ出したかった。
そんな気持ちがなかったと言えば大ウソになる。

だから、転職した。
前向きな気持ちも、後ろ向きな気持ちも両方ある転職だった。

こうして3年半にも及ぶ、僕の経営コンサルタント会社での仕事は終わりを告げた。
今から約5年ほど前、34歳の頃の話である。


◆僕の気づき
自分に向いてない仕事を一生の仕事にはできない。
心が燃えなければ、どこかでエネルギーが切れてしまう。