※英国テレグラフ紙の英文記事の日本語訳


日本の奴隷労働施設が世界遺産認定


23件の初期産業施設に関する日本の世界遺産認定への立候補が論議を呼んでいたが、日本が韓国に譲歩し、これらが強制労働(forced labour)の施設であったという点で合意したことで、認定を受けることになった。

日本の鉱山、造船所、製鉄所からなる施設群は、これらがかつて奴隷労働(slave labour)の舞台であったと同国が認めたことで、ユネスコ世界遺産の認定を受けた。

日本の産業革命を代表するとされるこれら23施設の世界遺産登録に向けての日本の努力は、韓国と中国からの広範な批判を招いていた。両国は日本の立候補について、第二次大戦前・戦中に日本の占領軍によってこれら施設に送り込まれた多数の両国民の苦難を見過ごしていると主張していた。

これらの施設で労働を強いられた英国人戦時捕虜の遺族も、この立候補に反対を表明していた。

だが韓国政府は、これら施設の一部が朝鮮半島出身の強制労働者(forced labourers)を用いていたことをユネスコ登録時に明示すると日本が承諾したことで、反対を取り下げた。これにより日曜日の決議がもたらされ、日本では昨日祝賀行事が行われた。

ドイツのボンで行われたユネスコ会合に出席している日本の代表は、同国が「1940年代に一部の施設で多数の朝鮮人やその他の人々が意に反して連れて来られて厳しい条件で働くことを強いられたことが理解されるような手段をとる用意がある」と述べた。


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韓国に手玉に取られ、新たな賠償ネタを提供したという話。

軍艦島では労働者の給料が良く、家電の普及率もかなり高かった。

当然朝鮮半島からの「出稼ぎ労働者」もいたが、特別過酷な労働をさせていたわけではなく、「単純に一緒に働いていた感じ」と端島出身者も語っていた。


世界の報道機関で同じ論調で語られているので、今回登録されたところは海外では「強制労働が行われた施設」となってしまいました。

日本が認めたんだからしょうがない。

あーあ。

俺が小学5、6年のころの給食の時間。
机の配置を変え、5、6人がひとつの塊になって食事の最中。
Mくんが、むせたか何かで鼻から牛乳が出てしまった。
そこでとある誰かが、トッカータとフーガニ短調の調べにのせて「♪チャラリー 鼻から牛乳~」と歌った。


「鼻から牛乳」誕生の瞬間である。


教室内は爆笑の渦。
ところで「鼻から牛乳」といえば、嘉門達夫の曲で世間に認知されている。
この曲が発売されたのが1992年4月21日。
俺が小学5、6年の時は1983or4年あたり。
だから、この曲をテレビで聞いた時「あ、懐かしいな」と思った。
調べてみると、この曲の詞に関しては、ぜんじろうが提供したという。
あの教室にいた誰かがぜんじろうのラジオ番組に投稿でもしたのだろうか?
疑問はこの曲が世に出て以来ずっと続いている。

翌朝は早くから動く。4時30分にはネットカフェを出る。
目的地を旧熱塩駅に設定し走り出す。着く頃には日の出を迎える予定。
しかし、前日間に合わなかった第一只見川橋梁にて、一番列車の通過を撮影することにする。
道の駅に車を停め撮影地を目指す。
去年、撮影地までのけもの道が遊歩道として整備され、アクセスしやすくなった。
かなり急こう配の階段を上った。先客が二人。
ほどなくして、会津川口方面から始発列車が通過。



只見川との水鏡となった。


次の目的地は喜多方の坂内食堂。
以前、店の前まで来たものの、観光バスからゾロゾロ客が降りてきていたのが見えて別の店に行くことにしたところ。
この時は河原の無料露天風呂に入って車中泊し、コンビニのパンをいくつか食べた後、喜多方に着いて午前中だけでラーメン店3軒はしごしたんだった。
6時30分頃には現地に着いたものの、通常土日は近くの喜多方市役所に駐車できるんだが、工事中で入れない。
しかし、開店前ということもあり、近くに点在する坂内の駐車場に停めることができた。




店に到着。すでに行列ができている。
7時に開店し肉そば(900円)を注文する。
食券をカウンター脇で店員から購入し、指定された席に座る。
待つ間にも続々客が入ってくる。しばらくして着丼。



味はまあまあ。肉が多い分、途中で飽きる人もいるかもね。


次は一ノ戸橋梁へと向かう。
トラスとガーターが組み合わされた、なかなかの規模の橋。
撮影者は自分一人。



開業当初は東洋一と言われたらしい。
まずは喜多方方面への列車を日が差す方向から狙ってみたが、橋に近づきすぎて失敗。
レールの両側のスペースが広くて、列車があまり写らなかった・・・。



通り過ぎたところを狙ってみると、朝日にギラっと車体が照らされて面白くなった。
場所が悪くてケーブルが被ってしまったけど。
少しして反対方向の列車が来るので、今度は橋の向こう側へ。
こちらからだと逆光になり、橋と渡る列車が黒くつぶれ「シルエット」になる。



わりと引いた感じで撮影してみたが、列車のディテールが分かりづらくなってしまった。


次は日中線記念館となった旧熱塩駅に向かう。
喜多方から熱塩までの10kmほどの短い路線だった。
私が小学生の頃に廃止になったのだが、雑誌に載った旧型客車のテールランプが印象に残っていて、今回の訪問先とした。



旧熱塩駅は今まで見てきた寂れた終着駅というよりも、割とモダンな外観をしていた。




木のラッチやストーブも保存されていた。




構内には除雪車と客車が保存されており、車内に入ることができた。



客車ではSL時代の走行音を聞けるようになっており、往時の雰囲気を味わうことができた。




駅舎内は当時の制服や乗車券箱なんかも保存されていた。


旧熱塩駅を堪能した後、再び一ノ戸橋梁へ向かう。
天気は快晴。多くの撮り鉄は鉄橋の順光側に集結していて、自分一人だけ逆光側に陣取る。



今度はズームレンズを300mmいっぱいに延ばし、できるだけ列車のディテールを捉えるようにした。


次は再び第一只見川橋梁へ。



撮影地に登る途中にあったこのキノコ。
食べられるのかな?



ここではほぼ順光で狙うことができた。


次は芦ノ牧温泉駅へ向かうが、道中どこかで只見線の列車を撮影できるところはないかと探す。
廃踏切があって、そこを越えたところから撮影できないかと歩いてみたが先に進めず。
車のところに帰ってふとズボンを捲ったら、スニーカーの上をヒルが上にあがってこようとしていた。
国道の脇からススキと一緒にとれそうなところがあったので、カメラを持って車を降りてみた。



イマイチだったが、もう列車が来る時間。ここから撮影してみた。

最短距離の道は厳しそうだったので、もう一度会津若松に戻るようなルートで芦ノ牧温泉駅を目指す。



着いてみたら、目当ての駅長猫は無許可では撮影禁止だとか。
高齢のためとフラッシュ撮影なんかでストレスになってるとのこと。
後継者の猫ちゃんは改札付近にいたので許可をとれば撮影していいかもと思って女性駅員に聞いてみると、やはりだめらしい。
その受け答えには「申し訳なさ」が微塵も感じられない。
しかしながら、駅舎内には猫グッズが溢れて商魂逞しさが感じられ、釈然としないw



まあ、構内にて思いがけずキハ30に会えたので良しとするか。

芦ノ牧温泉駅を後にして帰路につくが、強烈な眠気が・・・。
立ち寄ったコンビニの目の前に寂れたパチンコ店があったので、後部座席にて小一時間休む。
目が覚めてなにげにスマホでニュースを見てみると、岐阜の御嶽山が噴火したとの知らせが。
字面から「みたけ」と読めてしまったために、名鉄新可児から別れた終着駅の「御嵩駅」の方かと思ってしまう。
あんなところに火山があったのかと勘違い。
そんなこんなで帰宅したのでした。