夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗 -3ページ目

夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

人にはもともと自然からいただいた素晴らし能力が潜在しています。それは、すでに日常の生活に根付いている生活レベルの文化の中にあるのです。武道文化を活かし、さらなる可能性を・・眠っている潜在能力を開発する。「気」という世界観は、武道文化の中に眠っています。

さて、どの様な事も人に語れる様になるまで最低10年はかかる、と言うより少し分かりかけるのに10年、それ迄に、人に出来ない様な事が出来る様になったとしても、自分の腹で分かる、「腑に落ちる」ところ迄に行くには、10年以上の歳月、毎日の修練を要すると私は、考えています。

私が刀の事を齧った程度で人を納得させるレベルまで、色々な刀を観て来たのか?と言えば絶対に有り得ない。
だから、自分で出来る限り、物の本を読んだり、ネットで調べたりして、ある程度の確信を得る事が重要だと思っています。

来国俊も、一竿子もかなりの時間を費やして調べた結果でした。
それでも、まだ足りないとは思っております。
結局、審査に出しても決定的なコレと言う事よりも、色々な可能性の寄せ集めが結果に繋がるのだと思います。

銘が切ってある・・それをどう科学できるのか、似ている・・だけで終わらせてしまう目と
年の最初の2画に特徴を見出すと、竿の竹冠も同じような顕し方になって居る?物の本で観れば、真物は、ほぼ同じ表現である。
そう言う事から観て行くと、他の字全てが同じ人が刻んだ物と思える様な、顕し方になる。

波紋も互の目にしか目が向いていなければ、互の目しか見えないが、刃中の働きに特徴が有ると物の本に書いて有れば、そこがどうなって居るのかその特徴を探る事をします。

新刀期の大阪の刀工の特徴の一つに、大阪焼き出しと言う事が有れば、そこを観ないで判断するか?焼き出しがわからない状況か、はっきり分かる状況か、それでまず判断できます。

それから、当時の流行りの濤瀾刃も観ます。
当時、堀川国広と津田助広の合作刀がある事から、想像される事は刀工同士に繋がりがあった、孤立していた訳では無い。
濤瀾刃に付いても情報交換があり、腕を競った事が伺えるのです。

一竿子に関して、その特徴の一つに鋼が冴えていると言う事があります、私の刀も冴えた鋼だと思います。
あくまで自論ですが、私が考えるに・・この鋼に粘りが余り無い要素が含まれるのか、鍛え割れなどが発生しやすかった? 
出来が良い刀を処分するには勿体、だから彫物を施して刀を活かす事をしたのでは無いか?
冴えた刀は硬いイメージがありますから、そう言う想像が生まれてきました。

まあ、今の段階では素人の空想論の域を脱しないのは、否定できませんが、こう言う空想の積み重ねで見えなかった物、観る必要のない物も見えて来る様な気がします。

道具は、使ってナンボですが今となっては美術品です。そして、そう言う目で多くの経験を積めばそう言う目になるのは当たり前。

例えば、私の家に美濃関の刀が沢山あり、それしか観て無ければどれを観ても、美濃関の物に当てはめて観てしまう、それはある程度仕方のない事かもしれません。自分の見た物と比較してしまうのは人間の心理です。

だから、何か一つでもそう言う特徴を見つけると、思考はそこを基準に物を考え様としてしまうのでは無いでしょうか?

当然、室町時代〜安土桃山時代の刀と、江戸時代の刀では、何かと違うところがあるのですから

一竿子等は、堺の商人に頼まれて刀を打つ事が多く、脇差が多いと聞きます。
また、その当時の流行を意識しての注文が殆どであった様にも思います。
刀匠も、自分の好きな物ばかり打って生活出来れば楽しい仕事だったとは思いますが・・


武道で私が心掛けている事の一つに観察眼を養う事があります。
良くスピリチュアルと言って、目に映らない事を読み取る能力を表現しますが、それはヒーラーと呼ばれる方々には、みえている事?まあ、確率的な事で、誘導しているインチキな方も居るとは、思います。

例えば、初めての方にはこう接してこう言う答えを導きだせ!と、マニュアルがあったりする、これは霊感を商売にする大きな団体などや、まあ、人からお金を詐取しようとする組織が使う手だと思います。

まあ、そんな事はさておき、😅

武道鍛錬、成長の為には観察眼を養う事が、とても重要だと考えています。

正面から観て丸いものも、上から見たら四角にみえる事もあります、見方、角度を少し変えただけで、まるで違う印象になる事も有るのです。

スピリチュアルも気の世界観もマヤカシや嘘が有ります、それをどうすれば見破る事が出来ますか?

簡単なのは、全部を嘘にしてしまう事、或いは全部を信じてしまう事です。
信じてしまう事は、危険ですし、嘘にしてまえば本物を知る事は出来ず自分の世界観を閉ざして行く方向で、いわゆる盲目になってしまいます。

何が、原因か?それは、自分自身が怠惰で有る事、それから色々な可能性を否定してしまって居る事、言うなれば何にしても簡単な事を一番優先させてしまう事を身に付けてしまって居る事では無いか?と思います。

「用の美」と言う事・・その物の本質は何か、