過去投稿で、新陰流の大先輩の坂さんからお預かりしている、兼房を紹介しました。
今、私の家にはこれだけの刀達が居てくれています。
居心地が悪ければ、さっさと出ていくんだろうと思います。
私の心情の一つに「分け隔てなく」と言う思いがあります。
エコ贔屓は、嫌いです。
人間的に好きでも、嫌いでも分け隔てなく物事を判断する心を持って居たいと思っています。
それは、刀に対しても同じ心です。
何百年も、この世に存在する稀代稀なる存在です。
新しい物もこれから何年、何十年、何百年と受け継がれて行かなくててはなりません。
刀は、侍の魂と言われました。
魂程大切にしなければならない物、それは、人の生死を左右出来る。
善悪に則って命を司る事が出来る物なのです。
日本刀を正しく扱う事を許される人は、さほど居ません。
武人と言われていても、日本刀を扱う事すら、出来ない人が多く無いでしょうか?
「正しく扱う」「抜かずして勝つ」
「鞘の内」
私達は、日本刀を次の世代に受け継いで行かせる為の点でなければなりません。
正しい使い方をどう身につけるのか、何が正しい使い方なのか、現代においてそれは曖昧過ぎ無いでしょうか?
『心正しければ剣正し、剣正しければ心正し』
禅の世界観を剣の道に取り入れた、剣聖と呼ばれる方々、
上泉信綱、柳生石舟斎、柳生宗矩、
柳生兵庫助、柳生連也、山岡鉄舟、
禅との交流は、非常に深いのです。
稽古を通し、人となりを創り上げる事を
位を創ると表現します。
道を極める事で、修行を目標に向かわせる事。
「剣禅一如」「剣体一致」「剣心一如」
これは、大切な日本の武道精神を顕す言葉です。
良く良く、肝に銘じなければならない事です。
悪しからず。