回想(過去剣術) | 夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

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人にはもともと自然からいただいた素晴らし能力が潜在しています。それは、すでに日常の生活に根付いている生活レベルの文化の中にあるのです。武道文化を活かし、さらなる可能性を・・眠っている潜在能力を開発する。「気」という世界観は、武道文化の中に眠っています。

新陰流、相雷刀八勢法の中に水車勢という、刀をクルクル回す使い方があります、クルクル回しても、ぴったりと相手の顔に刀を付けていきます。素振りでも、肩の高さでピタリと留めます。これが、留め太刀、肚の養成です。腕力だけでは限界があります。相手に当てるだけなら・・勢い良く振り切るだけの稽古、据え物を斬る時も、下段まで振り切ります。新陰流の稽古には、ただ斬るだけの稽古はありません。

何をどう使うのか・・刀の事、体・・手・足・肚・・・という事を常に意識した稽古をしなければなりません。
これが、刀身一致・刀身一如という感性に繋がる事を、稽古で求められます。

活人刀(相手の働きを活かして活)は、そういう働きが出来る様に身体に要求します。常にその働きが出来て居るかどうかを、確認できる様に型が出来て居るのです。

私は、どうしても自分の中にある基準(新陰流の理合)を持って体術でも剣術でも・・他の動きでも観てしまうのです。

水車勢も・・相手に働かせて活ので・・ただの切りの連続と思われると、それは間違いです。
水車勢は、相掛け流しと相掛け返しという二つがありますが、
相掛かるという動作の後に、活と言う事です。
相手の動きに合わせて、動き活のが転(まろばし)です。

相手の直勢を相掛けながら動きながら、刀を回す。
単純な動きの様すが、実は、そうではありません。
そこに、理合があるから新陰流なのです。

しかし・・・新陰流の稽古(柳生会)を長い間されていても、なかなか、上手く遣える人はいないのです。
理合いは、分かっていても使えない人が、ほとんどです。
かく言う私だとて・・ちゃんとつかえているかどうかww

それほどに、簡単ではないという事です。
しかし・・2年程前、私の最期の柳生会での稽古は、合宿でした(半年以上休んで)水車勢については、もう私の打太刀でちゃんと対応できる人は、居ませんでした。
誰もが、間と拍子を私に取られてしまい、身体がバラバラになってしまうのです。
それは、理合から離れた使い方をして居る事に、気付いていないからです。
私は、その都度、正しい遣い方をお話しするのですが、なかなか腑に落ちる事はない・・其の事を納得させる方法は、実際に稽古で間が取れない程詰められるしかないのです。

名古屋幹事の鈴木さんは、私の理解者でしたから・・八勢法を使いかい合いましたが、ぶんぶんクルクルでは、絶対に私に間を詰められてしまうのです。
それで、私の言う通りに使ったら、私に間を詰められる事が無くなりました。その違いに、やっと気づいたのです。
しかし、大勢は間違った使い方にあるのです・・いまだ、そうでしょう。ですから、新陰流から本物が出る事は、難しい。

稽古終了後、鈴木さんが私と坂さんが話して居る処に来て、「良い稽古でした、少し分かった気がします」と、挨拶をしてくださいました。
30年やっても40年稽古しても、間違った事に気付かかなければ、正しい事には、絶対に勝てない・・それは、新陰流という最高の剣術から私が、実践できた事・・・素晴らしい稽古でした。