習字の基本は・・・ | 夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

人にはもともと自然からいただいた素晴らし能力が潜在しています。それは、すでに日常の生活に根付いている生活レベルの文化の中にあるのです。武道文化を活かし、さらなる可能性を・・眠っている潜在能力を開発する。「気」という世界観は、武道文化の中に眠っています。

は・・小学校2年から5年まで・・習字を習っていましたが・・なぜか?2段と言う事でしたww

しかし、小学校の習字の時間に私は褒められた事は一度もなく・・周りに・・2段と言っても

誰も信じてくれなかったのも・・事実ですwwwしかし、私の2段は事実であり
ましたwwそういう事がトラウマで・・2段と言う事はあまり口外せずに生きてきましたが・・

習字を習い始めると・・漢字の「一」を最初に習うのはなぜでしょうか・・。
私が、聞いた話では・・一が一番難しい・・あるいは、習字の中の大切な要素が

沢山詰まって居る・・から・・と言う事が・・頭に浮かんできます。

しかし「一」と書く前に・・・・初歩的な準備・・たとえば・・習字道具をそろえる事から始まり・・正座で書くという事も、我慢しなければならず・・。

そういう事が・・あっての「一」が始まりで・・何枚も何枚も書いて・・先生に観てもらい・・朱墨で直しを入れてもらっては・・また書き直す。

そういう作業の繰り返しの中で・・「一」は形を成して行くのですが・・たとえば・・

無級の頃の一と・・2段になった後の一と・・同じ一の字でもきっとその差は
歴然であると思うわけです。たかが・・横棒一本なのに・・・。

一が難しいから・・その差が歴然であってしかり・・鉛筆やボールペンでいかに綺麗に書けても・・筆を使った・・筆使いが分かって居なければ
習字の一はかけないモノなのでしょう・。。。

筆使いが大切です。

武道でも・・同じなんですね。

立つ事ができなければいけない。動きが一つではいけない。右と左・左と右・・差があってはいけない・・。得意な方があるという事は、逆側は弱点でもある?

一本の先を書くのにどれほどの心遣いができるのか・・が、習字の一を書く上での極意であれば。。

自分を完成させて行くための極意は・・おのずと・・・・

それは・・やっぱり基本の中にあるのでしょう・相互作用の中でつねに・・関わり合いを持ちながら・・基本と応用が・・・並行してお互いを意識しながら上に上に上がっていくようなイメージがなければなりません。

モノが違えばすべてが違う・・では・・ダメなわけですし・・斬るという事から考えてみれば・・どうなのか・・と言う事も・・突く事から考えても・・結局

書道でも・・体の働きすべてが顕れる様な動きのある書が・・美しいとなるわけですが・・一を何度も何度も書いて行くうちに・・その心が分かる様になる。

私は、空手を教える上でも・・自分が剣道をやる上に於いても・・・一を忘れないで・・其の一が・・どう変化していくかが・・自分の進歩の度合いになるという事です。

と言う事は・・・2段には2段の書ける一があるとするなら・・それ以上は無いはずです。それ以下も・・あってはいけないと・・私はおもいます。
常に同じクオリティーで、書く事が出来る事が・・とても重要です。

勝ったり負けたり・・負けたり勝ったりではなく・・本当は・・常に同じ位の処に居る自分を意識できる事が、とても大切な心持ちなのです。

型の重要性は、そういう事です。

白帯の時の・・サンチン・・・の差が・・自分の空手の上達のバロメーターにならなければ、いけません。・・さらに・・腕が上がれば・・その上の型が常に打てるのが当たり前・・でなければおかしいのです。

今日の型は・・・昨日の型は・・ではなく・・その時できる最高の型がその時に出来る事が・・稽古を継続して居る・・証であり・・意味でもあるのではないでしょうか・・。

ですから・・・型のありがたみが・・浮きあがってきます。同じ処で納得して居るという事は、腕が上がって居ないという事の証です。
それでは、自分の良くない処には・・決して気づく事はないでしょう。

組手や対人稽古は・・それを確かめる手段で・・実は、己を磨くための稽古としては・・独り稽古が一番大切なのではないでしょうか・・。

誰が観て居ようと・・観て居まいと・・本当に単純な「一」と言う字を書き続ける事の出来る心を持って居る人が・・・本当に、凄い「一」を書くのでしょう・・か・・。