素手⇒武器⇒・・・ | 夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

人にはもともと自然からいただいた素晴らし能力が潜在しています。それは、すでに日常の生活に根付いている生活レベルの文化の中にあるのです。武道文化を活かし、さらなる可能性を・・眠っている潜在能力を開発する。「気」という世界観は、武道文化の中に眠っています。

空手の歴史を紐解けば・・・武道武術に興味のある方なら・・ご存知の通り・・


沖縄であります。沖縄空手の歴史は古く・・私の道場でも「基本型」としている


「三戦」は600年の歴史があると言われているそうです。


それは・・群雄割拠・・戦国の世をまとめた・・「尚王朝」が当時の琉球を統一


した折に、最初に出した「廃刀令」の頃なのです。平和を求め・・戦争のない


国を目指した琉球王国は刀の所持を認めなかったのです・・。


話は・・飛びますが・・・猿から進化した人間は・・当然最初は素手で、色々な困難


を乗り越えていったわけですが・・火を手に入れ・・そして、石器を駆使するようになり・・


棒を使い・・その先に鋭利な石器や貝を取り付け・・と・・青銅の武器・・さらには


鉄の武器を身につけていくことで、その戦闘能力をUPさせていったわけです。



そして、鉄を細工する知恵を得て・・扱いやすい・・武器を考案していくのです。


しかし・・人間も馬鹿ではありません。そのような武器をすぐに使えば・・痛い目を



見るということ・・平和な時間を大切に思う気持ちがあれば、当然・・武器を使わない


方向性を見出す事を望んだはずです。話し合い・・や・・調略や・・・


無益な争いは・・最後まで・・そういう事の中に・・武術は発達していくのではないでしょうか。


武術とは、未然に事を構え得る前に、身につけておくもの・・だけではなく・・


鎧のような物・・その鎧を観て・・相手も考える所が生まれてくれば、無益な


殺戮はなくなる方向性も生まれてくる。ここが・・いわゆる・・「位」「位勝ち」する


という所につながっています。筋肉の鎧を切れば・・見かけだけでも、相手に


恐怖心を起こさせることができますね。武術・武道の鍛錬は、ある意味・・


そういう目に見えない迫を備えさせてくれる、アイテム的な役割をしてくれたり


もするのです。武道を志すのであれば、「抜かずして勝つ」という最高の勝ち方


ができるようになるという事を、目標にするのも良いのかもしれません。


素手⇒武器・・・・・そして・・素手に戻って来るのですが・・その素手には・・秘められた


パワーが備わっている。そいうことが、武道の魅力と言えると思います。


新陰流を創始した「上泉伊勢之守信綱」も柳生宗厳(石舟斎)に「無刀取り」を


研究させ・・完成させたのです。


現代柔道の元である起倒流柔術の祖・福野正勝と茨木俊房は新陰流初期の


石舟斎の高弟だった事は知られています。


また、合気道の祖・・植芝盛平先生も新陰流を柳生厳周先生の高弟で達人と


謳われた元海軍中佐・下條小三郎先生から学んでいる。


素手で武器に立ち向かう事は、一般的には難しい事ではあるが・・武道・武術を


修行鍛錬する事の最終的な目標は・・そのような所に置くことが良いのではないだろうか・・。


結局、柳生が剣術の家であっても・・体術を学ぶ事は欠かすこのできない事で


あったわけで、また・・体術を学ぶ上でも・・最上はやはり武器に対する・・動き


や知識を得てそれを使えるようになるという事になるのだが・・・。


その2つを、全く別のものと言う意識が現代の風潮であって・・これは・・やはり



少し的を得ていないと感じる。沖縄古武術(空手)でも中国拳法でも武器術


は、必ず併用されて修練されているし・・そのほうが合理的に武術の全体像


が見えて来るものです。


空手を習っていても、剣がどう動くのか・・武器がどう動くのかという知識がなければ



臆してしまいやられてしまう。剣道3倍段などという言葉から・・最初から諦めて


しまう事もあるだろう。昔の剣道は、投げもあったし・・なんでもありだったという。


新陰流でも自由な斬り合い稽古をやっていた時代(厳長先生・延春先生)も


あったそうで・・投げ技などの修練も行われていたようです。


結局、この危ない時代に置いて・・まず、自己防衛意識をUPさせる事は、必然


のように思えて仕方がありません。カナダのテロなど・・・・香港のデモ・・・


イスラム圏の騒乱が・・いつどこで飛び火するかは・・誰にもわからないし。


模倣犯的犯罪も増えて来るような気がしてなりません。女性は暗い夜道は、


絶対に避けるべきだし・・同性(女の子同士)でも見知らぬ人、交流のない人に


気を許す事はなるべく避けるべきでしょう。自分が痛い思いをしたことがない


人は、人を傷つける事に対し抵抗がないのではないでしょうか?


人を傷つけるような大人にならないためにも、子供のうちに痛みを知るという


事、その痛みを乗り越える術を知るということが、とても大切だと考えます。


現代の素手の術理は・・全てが・・剣の術理から出来たと・・考えれば・・・今の


修行で足りるのか?と・・疑問に思うことはとても大切であると、私は思います。・・・


あしからず・・。