初心忘れる・・べからず・・。という言葉が・・武道にはとても大切な心であり・・言葉であります。
なんでも・・最初に習う事は・・簡単な事と決めつけてしまうのが、浅はか・・の、始まりであります。
日本人気質?侍気質とは・・非常に、不憫な気質をいうのだと・・思います。
出来るのに・・また・・最初から・・同じ事を繰り返そうとするし・・そうしなければ・・気が済まない
という・・胎の虫が納まらないという所を気質的に、持って居るような気がしてなりません。
私が・・この事に気が付いたのは・・最近ですが・・これは・・私の学生時代の勉強の仕方がそうでした。
歴史が好きで、日本史を受験教科にしていたのですが・・何度も何度も・・同じところを繰り返し
憶えて・・なかなか先に進めないww・・一夜漬けでしか・・テスト勉強をしたことのない私がww
歴史のテスト範囲・・の教科書を・・50ページから80ページ程だったと思いますが・・声をだして
5回ほど読むんですね。私は読むのが非常に遅いから・・時間がかかってしかたがない・・しかし
その5回でほぼ暗記できるから・・テストは90点以上です。どうやっても・・・ヤマを掛けたり
中途半端に・・歴史のテスト勉強を終わらせる事はできませんでした・・そんなテスト勉強ですから
やっていかない教科もありましたが・・・wwまーあまり頭が良いとは言えません・・めんどくさがり
なんですが・・好きな事や・・のめり込んだりする事には異常な・・感性を発揮する事もあるようです。
でwww何が云いたいかと・・言えば・・そう・・繰り返す事・・基本や、最初に習った事でも、しっかりと
身に付けてその事を忘れない様に努力できる心が・・前に進める心であると、私は信じてやみません。
侍気質という事は・・死なない為の術を身に付ける為に・・出来ない事があるのに・・・前に進む
という事は・決してなかった・・と、言う事です。活きる為に・・何度でも同じ事を繰り返すのです。
そこに、「謙虚」という心が産まれるから・・だましたり、ずるをしたり・・裏切ったりという事は、決して
出来ないわけですから・・裏側の・・そういう心を持って居れば・・武道は・・楽しんでやって居るだけの
趣味の範囲で終わっても・・仕方ない事である・・とも、私は考えます。
私が常に、意識している・・最近の心は・・なるべく正直に・・・自分の心がそのまま素直で・・謙虚
であるという事だと・・おもっています。初心を忘れるという事は、おごりであり・・隙であるのです。
進歩したかと思っていれば・・心に進歩が無ければ・・その実力は・・心のレベルから上に上がる
事は決してありませんね。←は・・宇城先生の「樽桶の法則」ですね。
新陰流で・・一番初めに習うのは・・「三学円の取り上げ遣い}ですが・・その前に・・ガッシ打ちという
面面を打ちあってその中で・・勝ちを得るという事を・・知識として軽く習っていきます。
実は、このガッシこそは・・新陰流の極意中の極意であるのですから、その事を内容もわからずに
真似事の様に稽古しても・・何も・・始まりは・・しないでしょう。その先に・・「三学円下から遣い」
があり・・その前に勢法があり・・その中で学ぶ事で・・ガッシの奥深さが分かってくるのです。
その過程や積み重ねがなければ・・まともな、ガッシさえできもしないはずです。
教えを受けて学ばない限り、真似事は真似事のままですね。。
相雷刀八勢法は・・シアイカタとして初めて習う型ですが・・ここに、新陰流の遣い方のすべてが
盛り込まれていると・・大先輩方々は・・必ずおっしゃられるのです・・。八勢法だけで10年やりなさい
と・・・その八勢法の水車勢の体の遣い方で・・半身から半身という働きを重視する・・事がありますが
その事を理解できないで足を踏んだりする事だけが大事だと思っていても・・これもまた・・わかって
居ないのですね。其処に体の遣い方の基本がある・・相手が、いるから竹刀が止まるのです・・真剣
を使って止まるような斬りができるでしょうか??出来ないですよ・・斬り込む勢いがあるから
体の遣い方がわかり・・それが、身に着くんです。
空手でも・平安一がどれほど大切で有意義な技を教えてくれる型であるか・・と言う事を・・わかって
居る人・・どれほどいるのか???単純でいいんですよね・・軸をつくり、動きを作るのに・・
その単純な動きが出来なければ、複雑な動きは真似事・・であるのです。今日の一般(ジュニア
緑帯以上)の稽古では・・この平安一の分解です。しかし・・私が、以前に大好きと書いた・・分解組手
一本組手はこの平安一の分解なんです。その事を・・この何年か・・ヅーッとやって来ています
が・・そういう意識を持って・・私の平安一の型の稽古を・・意識して稽古している生徒は・・ほとんどいません
そういう事を・・口にせず稽古をさせてきましたから・・しかし・・今日は・・そういう意識を持たすように
稽古を付けました。とても、大切な動きの基本を型から・・それも・・一般部の一番最初に習う
平安に・・私の大切にしている、技の動きの基礎があるという事です。
ですから・・どれほど先に進んでも・・型稽古の一番最初は平安一です・・どれほど・・上手に
空手が出来る生徒が・・来ても・・平安一がとても大切な型なんですね。其処が出来るようになるから
その後の型が・・活きてくるのです。その事を忘れない・・それが・・武道稽古の真髄に迫る心で・・間違い
ないのです。
う
初まれれば時は遥かに重ねども深き心を常しえに添う
by 幸太朗